オリオン・ファンタジア

第一話『急降下するプレリュード』

 私は今、猛スピードで急降下するエレベーターの中にいる。
 こんなパワーワードを言われても、何を言っているのかわからないかもしれないが、かくいう私もさっぱりわかってない。

「い、いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁあ――!?」

 終わりの見えないフリーフォールの最中、ただただ絶叫するしかない私の脳裏には、ここまでの短い人生にあった様々な事が、まるで走馬灯のように去来していた。

 幼稚園で日曜朝に放送されているアニメに影響されて、画用紙を丸めて作ったステッキを振り回し幾度となく変身を試みた、あの春の日。
 小学校で放送委員会に立候補して、お昼の校内放送をアニソン一色にして、先生から呼び出しをくらった、あの夏の日。
 中学校のテストで良い結果を出し、そのご褒美に買ってもらったタブレットで、夜な夜な布団の中であらゆる深夜アニメを見まくった、あの秋の日。
 そして高校最後の大晦日。
 親戚の集まりや友達の誘いを全て回避し、お目当ての本を一冊でも多く手に入れるために事前に練った行動プランに従って会場を巡った、あの冬の日。

 こうして振り返ってみると、私の人生はあきれるほどサブカルチャー一色だったことを改めて思い知らされる。
 やがて走馬灯では、専門学校での感動の卒業式を迎え、なんやかんやあって今日の朝まで追いついていた。
 このやけに鮮明なビジョンに、今は現実逃避のように想いを馳せてみるとしよう。

        ◇        

 カーテンの隙間から淡い朝の光が差し込んでいる。
 きっとわかる人にはわかる『絶望』を感じる、そんな時間。
 じわじわと来る頭痛のような不快な眠気と戦いながら、私は耳に装着したイヤホンから響いている自分の声に、思わず眉間にしわを寄せていた。

「結構体張ったけど……これはボツだな……」

 ほぼ徹夜で作っていた動画の確認を中断し、編集アプリをバツを押して終了する。
 心を無にして圧縮した編集ファイルを、ボツ動画フォルダーに静かにドラッグ。
 撮影まで含めると丸一日かけて作った動画だが、そのあまりの完成度の低さに、ただただ今は机に突っ伏する事しか出来なかった。

 私は動画投稿サイトで実写動画を投稿する活動をしている。

 きっかけは専門学校の課題でやった、動画制作の授業が楽しかったから。
 それがやがて趣味となり、せっかく作るんだから誰かに見てもらいたいと、投稿活動をスタートし、かれこれ一年ほどマイペースに続けている。
 が、一向に再生数は伸びないまま専門学校を卒業してしまい、特筆すべき技能も無い私は就活に惨敗し、今はバイトをしながら趣味であったはずの動画で一山当てるべく躍起になっている。
 まぁつまりフリーターって事だね。しょうがないね。

「せ、先週出した動画は……うっ……」

 ここで私の動画がどれほど伸びないのか、実例を紹介しよう。
 タイトルは『【栃木女子】たまには運動! 二荒山神社の石段十往復!』。
 内容はタイトルの通り、片道九十五段ある(私調べ)石段を十往復するだけの極めてシンプルな企画。
 私みたいな美少女(私調べ)がこれをやる事できっとバズるはず! と、脳内企画会議を通過したのだが、思いの外ハードで終始息切れ。そんなこんなで気の利いたコメントもほぼ出来ず、終いにはカメラの前でズッコケるという撮れ高のある力作だったが――再生数は三十四回、昨日の確認時点から二回増えてる。

「はぁぁぁぁ~……」

 肺が萎むのを感じる程の大きな溜息が出た。
 確かにサムネは微妙だし、企画も冷静に考えればイマイチぱっとしないし、動画もブレブレだけど、毎回一生懸命動画を作っている。
 でも、気持ちだけじゃ良い動画は作れないのもまた事実。そんな事はわかってるのに、頑張って作ったものがあまり世間から評価されないのは、やっぱり心に来るものだ。

「結構、頑張ったんだけどなぁ……」

 座椅子の背もたれに倒れこむと、重たい瞼がとうとう瞳を覆い隠してじわじわと意識を刈り取り始める。

(あ、これ寝ちゃうやつだ)

 だんだんと意識が遠のいて、疲れた体から力が抜けていく。

(せめてパソコンだけはシャットダウンしないと、またお姉ちゃんに怒られちゃう……)

 そんなことを考えるだけ考えた所で、私・青乃祭莉の今日が終わった。

        ◇

「あ、あぇ……?」

 目の前に広がるのは、知ってる天井。
 どうやら私は座椅子にもたれかかったまま寝てしまったようで、机の上に置いたスマホをタップすると、ロック画面のデジタル時計はお昼過ぎを示していた。

「また午前中寝過ごしちゃったよぉ……」

 今日はバイトも休みで、予定も特には無い。
 しかしいくらフリーターとはいえ、なんとなく小さい頃に耳がタコになるほど言われ続けた“早寝早起き”から逸脱した生活をこう毎日送るのは、なんかこう悪いことをしている気分になり、一種の焦燥感のような物を覚えるのである。
 変な体制のまま寝たせいか身体がだるくてまだ起きる気になれず、目的も無くスマホをいじり始めると、同居人である姉からメッセージが入っている事に気が付いた。

『今日は早く帰ります。ごはん何か用意しておいて♡』
「ぐぬぬ……私が料理ほぼできないの知ってるくせに……」

 私には三つ上の姉がいる。
 昔からそこそこ仲も良く、地元宇都宮の専門学校に通い始めたのをきっかけに、私は姉のマンションに居候していて、就活という強大な敵に惨敗したフリーターの私を、二万円という破格の家賃でこの部屋に置いてくれている、優しくて頼りになってみんなに自慢できるお麗しいお姉ちゃん様なのだ。

 が、昔から家事全般が壊滅的で、同居を開始した当初から私が炊事、洗濯、掃除を全て担当している。
 もちろん最初は分担をしようという話だったのだが、我が姉は炊事当番初日には米を研ぐために、食器用洗剤をぶち込んで泡を立てて洗い始め。洗濯当番初日には脳筋理論でありったけの洗剤を投入して、ドラム式洗濯機を泡で溺死させ。掃除当番初日にはあちこち並行して進めるものだから、掃除道具で散らかったまま日が暮れる。
 他にも数々の惨劇を目の当たりにした私は、保身のために当番制度の廃止を自ら願い出たのである。

「ふぁぁぁぁ……ぁぁ……とりあえず顔洗お……」

 よいしょと座椅子から起き上がり、ふらふらとした足取りで洗面所へ向かう。

「うっわ……君、ひどい顔してるね……」

 徹夜で疲労がにじみ出てる鏡中の自分に、そんな言葉を投げかける。
 私だって女の子なのだから、何時何時でも可愛くいたいものだが、今だけは絶対無理。
 正直布団に入って二度寝したい所だが、家事を疎かにするとまた謎に泡立ったぱさぱさの白米を食べてお腹を壊す羽目になる。
 たった刹那の回想でも背筋をはい回るような悪寒が走り、脳内から二度寝という選択肢は綺麗さっぱり消失した。

「――よしッ!」

 掛け声と同時に、両手ですくった水を顔にぶつける。
 それを三回ほど繰り返すと瞼が軽くなり、黄金色の瞳がぱっちりと開いた。
 意識が覚醒して徐々に頭が活動を開始するのを感じながら、くせっ毛気味な青い長髪をブラシで梳かし、星のヘアピンを着けると洗面所での用事はおしまい。
 続いて自室のクローゼットへ向かい、着る服を適当に見繕って先ほどまで身を包んでいた高校の赤ジャージからドレスチェンジ。
 窓際に置かれた姿見には、スクエアネックシャツとワイドズボンのゆったりめのスタイルになった私が映っていた。
 数日前にたまたま立ち寄った服屋でマネキン買いした服だが、割と気に入って最近かなりヘビロテしている。
 仕上げに私のトレードマークである袖が斜めにカットされたピンクの法被を羽織ると、私のお出かけフォルムが完成した。
 さて、次は何をしようか、なんて考えていると――。

 ぐぅぅ~……

 と、腹の虫が鳴って、図々しく食事を催促してくる。
 そういえば昨日は、編集していた食レポの餃子以外何も食べていなかったっけ。

「はぁ、何かあったけなぁ〜……」

 キッチンのすみっこに聳え立つ無駄に大きな冷蔵庫を開けて物色を開始する。

「お、レモ牛いただき~♪」

 真っ先に目に入ったのは白と黄色のパッケージのレモン牛乳。
 それを手に取り、慣れた手つきでストローを刺し、とりあえず飲み始める。
 このほんのりと甘酸っぱい爽やかな味わいで、口いっぱいにレモンを楽しみながら、冷蔵庫の中を物色を続けよう。(ちなみにレモン牛乳は無果汁です。)
 隙間が目立つ冷蔵庫には、牛乳や卵などの最低限の食品から、いちごと謎のビニール袋が入っていた。

「あっ、はははは……」

 私が苦笑交じりに取り出したのは、件のビニール袋。
 中には撮影では食べきれなかった餃子が、およそ一パック半入っていた。

「徹夜明けのお腹に餃子ってのは……さすがに栃木県民でもきついかな……」

 一応他の棚なども見てみるが、今すぐお腹を満たせそうなものは人参の素材食いくらいしか無かろう。
 かと言って今から料理をする気力は、寝起きの私には毛頭なかった。

「ズズズッ――ぷはぁ、ん~どっかに食べに行っちゃおうかな~……」

 レモン牛乳を完飲し、空腹ゲージが少し満たされた私は、家で昼を食べるのを諦めて夕飯の買い物ついでに外出する事にした。
 自室に戻ってリュックを背負い、手狭な玄関で靴を履いたらいざ出発。
 マンションの下にある駐輪場で、愛車であるライトブルーの折り畳み自転車を「よっこいしょ」と取り出して、市街地に向けペダルを漕ぎだした。

「ふんふふ~ん♪ 今日もいい天気~♪」

 五月の心地よい陽気の下、田川沿いの道をご機嫌に鼻歌を歌いながら疾走する。
 この時期の宇都宮は、実に心地よい風が吹く。
 暑いのも寒いのもダメな私に言わせれば、「ずっとこんな感じだったらいいのに」なんて日本の美しい四季を真っ向から否定したくなるくらい、今日は良いお天気だ。

「とりあえず……フェスタ、行くか――」

 宇都宮フェスタ。

 それはオリオン通りに位置する商業ビルだ。
 地下一階から地上六階までアニメやホビー系のテナントが入り、通称『オタクビル』や『北関東のアキバ』と呼ばれる宇都宮のサブカルチャーの発信拠点になっている。
 私は小学生の時からここに通い詰めており、最近は毎週四回は必ず訪れて新商品を逃すまいと目を光らせている。

 近くの小学校の横にある駐輪場に愛車を停めて、歩いて一分くらいのフェスタに入店する。
 お目当ては一階のハンバーガーショップ、なのだが……。

「うげ……お昼だからすごく混んでる……」

 目に見える席は全て埋まっており、レジにも数人並んでいる。
 これは推測だが、この繁盛の理由は今日が“火曜日”だからだろう。
 毎週火曜日に特定のメニューがお得になるキャンペーンが行われており、そのタイミングに意図せず鉢合わせてしまったらしい。

『1. 空腹に耐えて行列に並ぶ』
『2. 空腹に耐えて先にテナントを見て回る』

 まだまだ寝起きであまり働いてない脳内に選択肢が浮上する。
 一瞬だけ並ぼうかと思ったが、経験上時間を置くと空いてくるパターンが多い。
 それにここに来るまでの道のりで、空腹が一周回って引いたため、まだ我慢できる気がするし、それにこのいい匂いを嗅ぎ続ける方が逆にやばい気がした……。

「とりあえず見て回るかぁ……」

 私は逃げるようにエレベーターへ向かい、少し硬めの呼び出しボタンを押す。
 このビルには入り口を入って正面に、人が一人通れる幅のエスカレーターがあって、ほとんどの人は何の疑問も持たずにそれで各階を行き来すると思う。
 対して私が今待っているエレベーターを活用する人は、エスカレーター派と比べて圧倒的に少ない(私調べ)と思う。
 私がエレベーター派になったのは、高二の冬休みの事。
 お年玉を握りしめ、ずっと欲しかったプラモやらフィギュアを買った時、とてもじゃないけどあの狭いエスカレーターを通れる気がしなくて、存在だけは知っていたエレベーターを初めて使ってみたのが始まりだった。
 それから徐々に使う頻度が増え、遂には一階層の移動じゃないと、エスカレーターに乗らなくなっていた。
 ごめんね、エスカレーター……。

 チンッ♪

 そうこうしていると、いつも通り無人のエレベーターがやってきて、私は我が物顔で乗り込み『6F』のボタンを押す。
 間もなくゆっくりとドアが閉まり、エレベーターが動き始めた――のだが。

 ガコン――ッ!!

「へっ――?」

 とても稼働中のエレベーターからしちゃいけないような音が響き渡り、明らかに上では無く下に向けてエレベーターが速度のギアを徐々に上げて動き出す。

「ちょ、ちょっ!? なんか落ちてないッ!?」

 明らかにおかしい状況に、私は手すりにしがみついて、ただただ戦慄した。
 速度は更に増して、地下三十階くらいに行ったのではないかというくらい下り続け、やがて重力が消失し、私の体がふわっっと浮かび上がった。
 その様はまるで宇宙飛行士が、宇宙ステーションで過ごしている映像みたいな感じ。
 ただ彼らと違うのは、私は過酷な訓練を受けておらず、ただ情けなく叫びながら手すりにしがみついているという事。

「い、いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁあ――!?」

 すると今度は速度が落ちてきたのだろうか、無重力が突然無くなって、普通に生きている分には絶対に体験しない程のGが、私の体に圧し掛かって割とガチの死を覚悟する。
 走馬灯も現在に追いつきここまでの人生に想いを馳せ終わった私には、声が枯れるまで絶叫し続ける事くらいしか、もうできる事は残されていない、と――思っていたのだが。

 チンッ♪

 と、突然エレベーターが通常の速度に戻って到着を知らせるベルが鳴る。

「はぁ……はぁ……助かった――?」

 床にへたり込んで、唖然とする私。
 開いた口も塞がらず、乱れた呼吸の通り道と化していた。
 そんな私を気にも留めず、ゆっくりとエレベーターの扉が開くと、その隙間から眩い光が溢れ出して、私の視界を白く染め上げた。

 遠くからは何故か小鳥の囀りや、心地良い草木の音が聞こえる。
 不思議な世界に誘われて、上がった息を飲み込んでから立ち上って一歩を踏み出した。
 歩いて数秒、徐々に目が慣れていき、その景色が鮮明になっていく。

 ――そこは、あまりにも美しすぎる庭園だった。

 色とりどりの花々が咲き乱れ、蝶や鳥たちが踊るように舞っている。
 私の後方にある柵の向こうには、大海の如く広がる純白の雲海が広がっている。

「何ここ……すごい綺麗――」

 まさに“異世界”と形容したくなるような非現実的な光景を脇目に、足元に続いている石畳の道をゆっくりと進み続けると、やがて花壇の最奥に一本の杖が浮遊する、石造りの祭壇のような物が見えてきた。
 まるでゲームの序盤に、主人公が伝説の武器を入手するロケーションのようで、自然と私の足も近くへと吸い込まれていく。

「魔法使いの杖みたい……」

 それは眩い輝きを放つ金色の杖で、私はその美しさに見惚れてしまっていた。
 数秒間見つめた後、無意識の内に杖を手に取ろうと私の手が伸びる。
 恐る恐る伸びた指先が触れた瞬間、杖全体が発光して光の帯を直上へと放つと、やがて光が収束して人の形を象っていく。
 露になったのは、太陽に透かしたような美しい金髪を持つ幼い見た目の少女。
 その翡翠の美しい瞳が、私の姿を捉えると、その小さな口が開かれ。

「お主が、この世界を救う新たなる“救世主”か?」

 と、問うてくる。
 対して、私は――。

「きゅ……救世主!?」

 と、声を裏返えらせ、これ以上ない間抜けな返事をしてしまっていた。

to be continued.