オリオン・ファンタジア

第一話『急降下するプレリュード』

 私は今、猛スピードで急降下するエレベーターの中にいる。

 こんなパワーワードを突然言われても、何を言っているのかわからないかもしれないが、かくいう私もさっぱりわかってない。

「い、いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁあ――!?」

 終わりの見えないフリーフォールの最中、ただただ絶叫するしかない私の脳裏には、ここまでの短い人生にあった様々な事が走馬灯のように去来した。

 幼稚園でニチアサの女児向けアニメに影響されて、画用紙を丸めて作ったステッキを振り回した、あの春の日。

 小学校で放送委員会に立候補して、お昼の校内放送をアニソン一色にして、先生から呼び出しをくらった、あの夏の日。

 中学校のテストで良い結果を出し、そのご褒美に買ってもらったタブレットで、夜な夜な布団の中であらゆる深夜アニメを見まくった、あの秋の日。

 そして高校最後の大晦日。
 親戚の集まりや友達の誘いを全て断り、お目当ての本を一冊でも多く手に入れるため、競歩の要領で始発ダッシュをした、あの冬の日。

 こうして思い返してみると、私の人生はあきれるほどサブカルチャー一色だったことに気が付く。
 あ、一応言っておくけど友達もちゃんといたからね?  趣味趣向の近い人が集まる専門学校で出会った、オタク趣味を共有できる心の友がいるんだから!

 ……まぁ、一人だけだけど……。

 そうこうしている内に、脳裏で再生され続けている走馬灯では、専門学校での感動の卒業式を迎え、なんやかんやあって今日の朝まで追いついた。
 このやけに鮮明なビジョンに、今は、今だけは思いをはせてみよう。

 そう、あれは昨日の深夜に遡る――。

        ◇        

『みなさ~ん! こ~んにちは~!』

 カーテンの隙間から朝の光が差し込んで、わかる人にはわかる『絶望』を感じるそんな時間帯。
 眠気と戦いながら眉間にしわを寄せる私とは対照的な、馬鹿みたいに元気そうな自分の声が耳に装着したイヤホンから響き渡る。

『今回の企画は! スワンボート全力で漕ぎながら餃子の食レポin中禅寺湖~……ということでね〜、やっていこうと思いますけど〜』

 おぼつかないタイトルコールを終え、そこまで言い切った自分の視線がふと、カメラの直下に吸い込まれる。

「あ、カンペ見た」

 カメラに映らないように設置したカンペをガン見して、抑揚のない調子で企画概要の説明を始める。
 タイトルでもわかるように栃木県日光市にある湖・中禅寺湖名物である、スワンボートを全力でこぎながら、宇都宮餃子を食レポしてPRするというこの企画。
 画面の私も説明以上に言う事が無かったのか、そうそうにオープニングを切り上げて、餃子のパックを携えて事前に借りていたボートに乗り込んでいく。

「スワンボートなんて動かすのいつぶりだろ〜」

 まずはゆっくりと湖の真ん中を目指して、足元のペダルを自転車の要領で漕いで行く。
 黄金色の一際目立つこのスワンボート――『黄金色の白鳥』を駆って一分ちょっと、他のボートがいないエリアに到着し、傍に置いた餃子のパックを手に取った。
 ちなみにボートに乗ってからここまで動画は回っているのだが、「えっほ、えっほ」といった掛け声くらいしか発言しておらず、出演者本人でも「本当にこいつはタレントの自覚あるのか?」と疑問を覚えるが、まぁいいだろう。

『あ、何もしゃべってませんでした……! えへへっ……』

「えへへっ……じゃないって、私……」

『じゃ、じゃあ早速このおいしそうな餃子を食べながら、この黄金のスワンボートを漕いできますよ〜!! うぉりゃぁぁ!!』

 掛け声と同時に画面が激しく揺れる。
 画面の私は、カメラの事など気にも留めず、全力で動画タイトルに偽りないレベルで全力でボートを漕ぐ。
 そしてもう一つの大切な趣旨を思い出し、餃子を一口ぱくっ。

『うん! とぉ~っても――はぁはぁ……おいしいですーーーーッ!!』

 と、引き攣った笑顔で叫ぶ自分を見て、「この子は罰ゲームでも受けているのだろうか?」なんて考えてしまうほどには可哀想に見えてきた。

「うぅん……結構体張ったけどボツかな……」

 動画確認を中断して、編集アプリをバツを押して終了する。
 そして間髪入れずに今回の動画ファイルを、デスクトップの隅っこに鎮座する『ボツ動画』のフォルダーに静かにドラッグ。
 徹夜して作業した動画だが、そのあまりの完成度の低さに机に突っ伏し、何がいけないのかを働かない頭で考えてみる。

 編集技量? カメラアングル? それとも演者の問題……?

 考えれば考えるほど思考がマイナス方向に傾いて、頭が痛くなってくる……。

「せ、先週出した動画は……うっ……」

 タイトルは『【栃木女子】たまには運動! 二荒山神社の石段十往復!』。
 内容はお察しの通り、九十五段ある(らしい)石段を十往復するだけの企画。
 内容のシンプルさに反して、めちゃくちゃハードだったのだが、再生数は三十四回……。
 で、でも昨日より二回は増えているのだ、まだ伸び代はある……はず。

「はぁぁぁぁ~……」

 肺の中の空気をそのまま吐き出したような大きく溜息が出た。
 確かにサムネは自撮りだから微妙だし、企画もいまいちぱっとしないし、動画もブレブレだけど一生懸命動画を作っている。
 でも、気持ちだけじゃ良い動画は作れないのもまた事実。
 そんな事はわかってるのに、やっぱり頑張って作ったものがあまり評価されないのは、やっぱり心に来るものだ。

「結構、頑張ったんだけどなぁ……」

 座椅子の背もたれに倒れこむと、重たい瞼がとうとう瞳を覆い隠して意識を刈り取る。

(あ、これ寝ちゃうやつだ)

 だんだんと意識が遠のいて、疲れた体から力が抜けていく

(せめてパソコンだけはシャットダウンしないと、またお姉ちゃんに怒られちゃう……)

 そんなことを考えるだけ考えた所で、私・青乃祭莉の今日がこうして終わった。

        ◇        

「あ、あぇ……?」

 目の前に広がるのは、知ってる天井。
 どうやら私は座椅子にもたれかかったまま寝てしまったらしい。
 机の上に置いたスマホをタップし、時刻を表示する。
 ロック画面のデジタル時計は十二時を回ったところだった。

「まぁた、お昼過ぎまで寝ちゃったよぉ……」

 今日はバイトも休みで、予定も特には無い。
 しかし、人として早寝早起きから逸脱した生活を送るのは、なんかこう悪いことをしている感覚に陥ってしまう。

(まぁ実際に体には悪いんだけど……)

 まだ体を起こす気になれず、目的も無くスマホをいじり始めると、お姉ちゃんからメッセージが入っている事に気が付いた。

『今日は早く帰ります。ごはん何か用意しておいて♡ 姉より』

「ぐぬぬ……私が料理ほぼできないの知ってるくせに……」

 私には三つ上のお姉ちゃんがいる。
 昔からそこそこ仲も良く、地元宇都宮の専門学校に通っている間、私は姉のマンションに居候していた。
 二年生になり、当然就活を行うが惨敗し、二ヶ月前に専門を卒業した今も、この部屋に置いてくれている優しくて頼れる自慢のお姉ちゃんだ。
 しかし、仕事が忙しいらしく家事全般が壊滅的。
 バイトはしてるものの家にいる時間が長く、置いてもらっている恩もある私が炊事、洗濯、掃除を全てやっているのだ。

「ふぁぁぁぁ……ぁぁ……とりあえず顔洗お……」

 意を決して座椅子から起き上がり、おぼつかない足取りで洗面所へと向かい、鏡の中の世界の自分と対面する。

「うっわ……君、ひどい顔してるね……」

 疲労がにじみ出てる顔にそんな悪態をつく。
 私だって女の子なのだから、いつ何時でも可愛くいたいけど、今だけは絶対無理。
 正直布団に入って寝なおしたいけど、家事をおろそかにする事、それすなわち路頭に迷うことを意味する。

 パソコンが無い生活を想像しただけでも、ゾッとして寝なおそうなんて気は消失した。

「――よしッ!」

 掛け声と同時に、両手ですくった水を顔にぶつける。
 その動作を三回ほど繰り返すと瞼が軽くなり、黄金色の瞳がぱっちりと開いた。

 意識が完全に覚醒していき、徐々に頭も活動を開始するのを感じながら、くせっ毛気味な青い長髪をくしで丁寧に梳かして、星の飾りがお気に入りのヘアピンを三つ着けて前髪を固定し、洗面所での用事を終えて、自室のクローゼットへGO。
 着る服を適当に見繕い、高校の赤いジャージから着替える。
 窓際に置かれた姿見には、スクエアネックシャツとワイドズボンのゆったりめのスタイルになった私が映っていた。
 数日前にたまたま立ち寄った服屋でマネキン買いした服だが、割と気に入って最近ヘビロテしている。
 仕上げにトレードマークの袖が斜めにカットされたピンクの法被を羽織ると、私のお出かけフォルムの完成だ。
 さて、次は何をしようか、なんて考えていると――。

 ぐぅぅ~……

 と、腹の虫が鳴って、図々しく食事を催促してくる。
 そういえば昨日は、編集していた食レポの餃子以外、何も食べていなかったっけ。

「はぁ、何かあったけなぁ〜……」

 キッチンのすみっこにそびえ立つ無駄に大きな冷蔵庫を開けて、中の物色を開始する。

「お、レモン牛乳いただき~♪」

 真っ先に目に入ったのはレモン牛乳。
 それを手に取り、慣れた手つきでストローを刺し、とりあえず飲み始める。
 このほんのりと甘酸っぱい爽やかな味わいを口いっぱいに感じながら、冷蔵庫の中を物色し始める。
 隙間が目立つ冷蔵庫には牛乳や卵、いちごと謎のビニール袋が入っていた。

「あっ、はははは……」

 祭莉は苦笑いをしながらそのビニール袋を手に取り、中身を確認する。
 中には昨日の撮影で食べきれなかった件の餃子が入っていた。

「徹夜明けでだるい状態で餃子ってのは、さすがに栃木県民でもきついかな……」

 一応他の棚なども見てみるが、最低限の食材しかない。
 そして今から料理をする気力は寝起きの私には毛頭ない。

「どっかに食べに行っちゃおうかな……」

 自室に戻って、お財布など最低限の物が詰まったリュックを背負い、手狭な玄関で靴を履いたらいざ出発。
 マンションの下にある駐輪場で、愛車であるライトブルーの自転車を「よっこいしょ」と取り出し、街に向かうべくペダルに足をかける。

「ふんふふ~ん♪ 今日もいい天気~♪」

 五月の心地よい陽気の下、田川沿いの道をご機嫌に鼻歌を歌いながら疾走する。
 この時期の宇都宮は実に気持ちのいい風が吹く。
 暑いのも寒いのもダメな私に言わせれば「ずっとこんな感じだったらいいのに」なんて日本の美しい四季を真向否定したくなるくらい、今日は良いお天気だ。

「とりあえず……フェスタ、行っちゃおうかな」

 宇都宮フェスタ。

 それはオリオン通りに位置する商業ビルだ。
 地下一階から地上六階までアニメやホビー系のテナントが入り、通称『オタクビル』や『北関東のアキバ』と呼ばれる宇都宮のサブカルチャーの発信拠点になっている。

 私は小学生の時からここに通っており、最近は毎週四回は必ず訪れて新商品を逃すまいと目を光らせている。
 小学校の横にある駐輪場に愛車を停めて、歩いて一分くらいのフェスタに入店する。
 お目当ては一階のハンバーガーショップ、なのだが……。

「うげ……お昼だからすごく混んでる……」

 目に見える席は全て埋まっており、レジにも数人並んでいる。
 これは推測だが、この繁盛の理由は今日が“火曜日”だからだろう。
 毎週火曜日に特定のメニューがお得になるキャンペーンが行われており、そのタイミングに意図せず鉢合わせてしまったらしい。

『1.空腹に耐えて行列に並ぶ』

『2.空腹に耐えて先にテナントを見て回る』

 まだまだ寝起きであまり働いてない脳内に選択肢が浮上する。
 一瞬だけ並ぼうかと思うが、こういうシチュエーションでは意外とちょっと時間を置くと、列がましになっているパターンが多い。
 それにここに来るまでの道のりで、空腹が一周回って引いてきてたため、まだ我慢できる気がする。
 それにこのいい匂いを嗅ぎ続ける方が、なんかこういろいろとやばい……。

「とりあえず一周見て回ってこようなか……」

 私は逃げるようにエレベーターへ向かい、少し硬めの呼び出しボタンを押す。
 このビルには入り口を入って正面に、人が一人通れる幅のエスカレーターがあって、ほとんどの人は何の疑問も持たずにそれで各階を行き来すると思う。
 対して私が今待っているエレベーターを活用する人は、エスカレーター派と比べて圧倒的に少ない(私調べ)と思う。

 このエレベーターと出会ったのは高二の冬休みの事。
 お年玉を握りしめ、ずっと欲しかったプラモやらフィギュアを買った時、とてもじゃないけどあの狭いエスカレーターを通れる気がしなくて、存在だけは知っていたエレベーターを初めて使ってみたのが始まり。

 それから徐々に使う頻度が増え、遂にはエスカレーターに乗らなくなっていった。
 ごめんね、エスカレーター……。

 チンッ♪

 そうこうしていると、いつも通り無人のエレベーターがやってきて、私は我が物顔で乗り込み『6F』のボタンを押す。
 間もなくゆっくりとドアが閉まり、エレベーターが動き始めた――のだが。

 ガコン――ッ!!

「へっ――?」

 とても稼働中のエレベーターからしちゃいけないような音が響き渡り、明らかに上では無く下に向けてエレベーターが速度のギアを徐々に上げて動き出す。

「ちょ、ちょっ!? なんか速くないッ!? てか、なんで下に行ってんのぉぉお!?」

 明らかにおかしい状況に、私は咄嗟に手すりにしがみついて不安を喚き散らかした。
 しかし速度は更に増してもはや地下三十階くらいに行ったのではないかというくらい下っている。
 やがて重力が消失し、私の体がふわっっと浮かび上がる。
 その様はまるで、宇宙飛行士が宇宙ステーションで過ごしている映像みたいな感じ。
 ただ彼らと違うのは、私は訓練されていなくて、ただただ手すりにしがみついているという事。
 これではまるで、某テーマパークのエレベーターが自由落下するアトラクションみたいではないか。

「い、いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁあ――!?」

 もはや普通に生きている分には絶対に体験しないGが私の体にかかる。
 この状況に私は声が枯れるまで絶叫し続ける事くらいしかできない、と思っていたのだが――。

 チンッ♪

 と、突然エレベーターが通常の速度に戻って到着を知らせるベルが鳴る。

「はぁ……はぁ……何だったの――?」

 床にへたり込み、唖然とする私。
 もう開いた口が塞がらず、乱れた呼吸の通り道と化していた。
 そんな私を気にも留めず、ゆっくりと開く扉が開く。
 その隙間から眩い光が溢れ出して、世界を白く染め上げていく。
 そこは何も無い、まっさらな世界。
 遠くからは何故か小鳥の囀りや心地良い草木の音が聞こえる。
 不思議な世界に誘われて、上がった息を飲み込んでから立ち上り、散策を開始。
 歩いて数秒、徐々に目が慣れていき、その景色が鮮明になっていく。

 ――そこは、あまりにも美しすぎる庭園だった。

 色とりどりの花々が咲き乱れ、蝶や鳥たちが踊るように舞っている。
 私の後方にある柵の向こうには、大海の如く広がる純白の雲海が広がっている。

「何ここ……すごい綺麗――」

 突然目の前に広がった“異世界”に茫然としつつ、足元に続いている石畳の道をゆっくりと進んでみる。
 花の香りに包まれた空気を分けてと進み続けると、やがて花壇の最奥に一本の杖が置かれた祭壇が見えてきた。
 それはまるでゲームやアニメに出てくるような神聖な祭壇。
 私はその祭壇に、吸い込まれるように近付いていく。

「魔法使いの杖みたい……」

 それは眩く輝く金色の杖で、私はその美しさに見惚れてしまっていた。
 数秒間見つめていると、無意識の内に杖を手に取ろうと私の手が伸びる。
 そして指先が触れた瞬間、杖全体が発光して光の帯を直上へと放つ。
 光が収束し、やがて人の形をかたどっていく。
 露になったのは、太陽に透かしたような美しい金髪を持つ幼い見た目の少女。
 その翡翠の美しい瞳が、私の姿を捉えるとその小さな口が開かれ。

「お主が、この世界を救う新たなる”救世主”か?」

 と、問うてくる。
 対して、私は――。

「きゅ……救世主!?」

 と、声を裏返えらせ、これ以上ない間抜けな返事をしてしまっていた。

to be continued.