オリオン・ファンタジア

第五話『異世界からただいま』

 第一世界《テラ・ミラスタ》南西の森。
 鳥たちの囀りがこだまするのどかで深い森のさらに奥には、複数のテントが所狭しと連なったベースキャンプが設置されていた。
 その中でも一際大きなテントの上に掲げられている軍旗に織り込まれているのは、機械仕掛けの女神を表す紋様。
それは七つの異世界を次元門で繋いだダンジョン《フェスタ》を統一するという第六世界《メカニス=デア=マーキア》の女王マキナの命令に従い戦う《マーキア侵攻軍》の物だった。
 キャンプにはまるでブリキのロボットのような機巧型の機械生命体が多数駐在しており、各々物資の運び出しや故障した個体の修理に勤しんでいる。
 そんな鉄と油の匂いが混じる空気を音もなくかき分けてくるのは、淡いブロンドを持つ美しい顔立ちの青年だった。
 彼はキャンプの出入り口に設置された検問所で立ち止まり、そこで門番の役割を遂行する機巧型の機械生命体に声をかける。

「個体識別番号A-01、ただいま帰投した」
『識別番号照合中――照合完了。オカエリナサイマセ、アダム王子』
「王子はやめてくれ。今の僕はただの軍人だよ」

 ブロンドヘアーの青年・アダムは肩をすくませて、門番に笑いかける。

『訂正/以降任務中ハ“アダム少佐”ト、呼称サセテイタダキマス』
「そうしてもらえると助かる。部隊長のゼムリャーは中にいるか?」
『肯定/ゼムリャー大佐ハ第一テントニイラッシャイマス』
「ありがとう、助かったよ。では引き続き警備に当たってくれ」
『大イナル“機械タチノ神《デア》”ノ為ニ――』

 少ない可動域で敬礼をする門番に、アダムも敬礼を返して門の奥へと進んでいく。
 多くのテントが立ち並ぶ中、側面に01と書かれた一際大きなテントに入ると、この一帯の地形図が広がったテーブルを中心に、数体の機巧型ロボットと、軍服の上からでもわかる分厚い胸板を持った赤毛の大男が、貯えた顎髭に手を当てて唸っていた。

「ゼムリャー隊長、今戻った」
「おぉ、アダム様! こんな辺鄙な地によくぞお越しくださった!」

 アダムが声をかけると大男・ゼムリャーはパッと表情を明るくし、昔からの癖でその場に跪くと、部隊長の態度に倣ってか周りの機巧型たちもその場に跪く。

「よしてくれゼムリャー、ここではあなたの方が上官なのだ」

 言われてゼムリャーがポカンとした顔でアダムを見上げるが、途端に高笑いをして立ち上がる。

「はっはっはっ! それもそうですな!」
「面倒をかける。それで何かあったのか?」
「それが付近の巡回に出ていた兵が何者かと遭遇し、文字通り真っ二つになった状態で発見されましてな」

 そう言いながらテーブルに散らばる写真をアダムに手渡す。

「これは……」

 写真には件のロボットの無惨な姿が写されいた。
 機巧型の外装は、第四世界で採掘される“アダマリュプス”という非常に硬い鉱物を含む合金が使用されていて、合金化の過程で硬度が低下するものの、刃を通さず実弾を弾くほどの充分な耐久性がある物のはず。
 それがこうも容易く切り裂かれるとは……と、アダムは思わず目を細めた。

「報告/ブラックボックス解析完了。視覚データ復元中――」

 机を囲む機巧型の一体がそう告げて、頭部に搭載されたプロジェクター機能を起動させて、テントの壁に破壊された機体の視覚データを投影する。
 所々にノイズが混じる映像が再生を開始し映し出されたのは、かごを背負ってこちらから必死に逃げる青髪の女だった。

「こ、こいつは――ッ!」 
「アダム様、この青毛の娘をご存知ですかい?」
「いや、知っているというほどではないが、先ほど現地の協力者から手強い青髪の魔法使いがいるという情報を得てな」
「ほぅ……この娘がその魔法使いだと?」

 ここに来る前に会ったゲーターが言っていた青髪の魔法使い、それがもしこの娘だとしたら? しかしこの映像ではただ逃げ回っているだけのように見えるが……きっと復元できなかったメモリーで、兵を真っ二つにしたに違いない。
 計り知れない敵の脅威に、アダムは訝しげに唸って見せる。

「……おそらくな、それにこいつこそ賢者が召喚した、力ある者なのかもしれない」
「例の次元門ですかい……ではこのゼムリャーめが、力量を測って来るとしましょう」
「あなた自ら赴くと言うのか……? 敵の情報が少なすぎるのでは……」

 心配そうな面持ちで、アダムがゼムリャーの方を見る。
 その眼差しを受けてポカンと口を開け、優しげな口調で返す。

「はっはっは、嬉しいですなアダム様。そこまで心配していただけるとは……しかしあなた様から拝命した“武神”の称号は伊達ではありませんぞ? こちらは部下が一人やられとるのです。この隊を預かる身として静観はできんでしょう。それに――」

 ゼムリャーが自らの分厚い胸板を叩き、漲る闘志を隠しきれない笑みを浮かべ告げる。

「ようやっと強敵が現れたかもしれんのです、散った兵には悪いですが、血が滾るというものですぞ! はっはっは!」
「あなたは昔から変わらない……了解した、武運を祈っている」

 ゼムリャーの闘志に肩をふっとすくませて、アダムが武神に敬礼をする。

「お任せあれ、必ずや“機械たちの神”の名に掛けて、必ずや勝利を捧げましょうぞ」

 その後も第一テントからは、大男の高笑いが響き続けた。

        ◇        

「――と、いうのがクエストの報告よ」
「ありがとうマーナちゃん、みんなに怪我がなくて本当によかったわ……」
「……まぁ、一人精神的なダメージを負った子がいるようだけれど……みんな元気よ」

 私たちはクエストから帰還し、ギルドの支部を兼ねている『ラット・ライク・バーガー』の看板娘ことアンに、先ほど起こった事柄を報告……とは言っても基本的にマーナさんとユニが話していて、私はお店のすみっこで小さく蹲っているだけなのだが……。

「お外怖ぃぃ……もぅおうち帰るぅぅ……」
「ほれ、いつまでそうしておるつもりじゃ! 帰り道もずっとめそめそしおって!」

 クエストへは行きも帰りも歩きだったのだが、行きはルンルン帰りはずるずると言った具合に、腰が抜けた私はユニに森から引きずられここまで戻ってきたのだった。

「だって、ごわがっだんでずッ! 腕ぐッて掴まれたんでずッ! ぐッて!!」
「わ、わかった……怖かったな〜、よく頑張ったのじゃよ〜」
「うわぁ〜ん、ユニぃぃぃぃ!! ちぃぃぃぃん!!」
「よしよし……って! わしの服で鼻をかむな! この無礼者!」

 ユニが私の頭をポカポカと音を鳴らして叩くが、私には1ダメージずつしか入らず、そのままユニに抱きついてギャン泣きを続行する。そんな私たちの様子を見てマーナさんが「はぁ……」とため息を吐くのが視界の端で見てとれた。

「どうやら通常運転そうね……」
「そうねぇ〜……あっ、そうだわ! みんなお腹空いない? 今何か用意するわね〜」

 そう言うとテーブルに座って騒ぐ私たちを背に、アンは厨房へと入って行った。

 ――数分後。

「祭莉ちゃん完全復活ッ!! この塩レモンのソースがたまんないよねぇ〜!! はむっ♪」

 アンから初クエスト達成祝いと題して、特製バーガー(今度はミニサイズ)が振舞われて、私は完全に元気を取り戻した。
 お味は私のお気に入りに昇格した塩レモンチキンバーガー。
 さっぱりしたレモンの風味とカリッとジューシーなクリスピーチキンが最高にマッチしていてペロリと完食。冗談抜きで毎食これでいいレベルだ。(とか言うと飽きてしまうのでほどほどに)
 これはお姉ちゃんもきっと好きだろうから、買って行ってあげ――――。

 そこまで言って私の周りの時間が、ぴたりと止まった。

「ん、どうしたのじゃ?」

 隣でむしゃむしゃと小さいお口でハンバーガーを頬張っていたユニが、不思議そうにこちらを見つめて問うてくる。

「ね、ねぇユニ? 今って何時かわかる……?」
「う〜ん……夕方じゃな」

 窓の外を見て、見たまんまのことを伝えてくるが、私が聞きたいのはそういうことじゃない。急いでポケットからスマホを取り出して画面をタップすると、時刻は十八時を過ぎたところだった。
 それを脳が認識した瞬間、血の気がサーっと引くのを鮮明に感じた。

「ま、まずい……っ、住む場所が無くなるッ!」
「何言ってんのじゃ? そんなに厳しい家庭の――って、うわぁっ!?」
「と、とりあえず帰るよ! てか帰らせてくださいお願いしますッ!」

 ユニの小さな両肩をガッチリ掴み、ぐわんぐわんと揺らして必死の懇願を開始する。

「ちょ、ちょっと待っ……め、目が回るのじゃぁぁ……」

 流石に揺らし過ぎたか、目を回したユニがその場に倒れ込む。

「あ、ごめんね。つい我を忘れてて……」
「祭莉、何か予定でもあったのかしら?」
「あぁ、予定って程では無いんだけどぉ……お姉ちゃんから早く帰るって言われてたのを思い出して、夕飯何も用意して無いな、と……」
「へぇ〜、祭莉ってお姉さんいたのね」
「わしも初耳じゃ」
「そりゃ今日が初対面ですからね! あぁ……どうしよぉ絶対怒られるよぉ……」

 ついに私は、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。十八時ということは、姉はもう確実に帰宅しているはずだ。そして私の不在、ほぼ空の冷蔵庫を見て今頃――いや、この先を考えるのはよそう……。
 いくらバイトをしているとはいえ、一人暮らしをできるだけの貯金なんてないし、一体これからどうすれば……なんて追い出されるの前提で思考をぐるぐるしていると、天使は突然に私の元に舞い降りた。
 肩をつんつんされて、顔をあげると笑みを浮かべたアンが、絶望に打ちひしがれた表情の私に、可愛いピンクの小包を差し出してきた。

「はいこれ、お姉さんの分ね〜。味は祭莉ちゃんのと同じでよかった?」

 小包の中身はおそらく塩レモンチキンのバーガーだろうか、ほんのりと温かさを感じる風呂敷を受け取り、私は泣きそうになるが大切なことを思い出した。

「あ、ありがと……? そうだ、お金っ……」

 私は慌てて財布を出そうとするが、それはそっと伸びたアンの白い手に止められる。

「これもお礼とお祝いの内ってことで、ね?」

 しーってしながら、まるで内緒話でもしてるように囁くアン。
 あれ、この子めっちゃ萌えじゃね?
 トゥンク……と高鳴る鼓動が、新たな推しの登場を告げている。

 間違いない、この子は推せるッ!!

 女の子っぽい仕草。柔らかな言葉遣い。ゆるふわな雰囲気。桃色のいい香りがする髪。
 彼女を構成するありとあらゆる要素がてぇてぇ……。

「あの、祭莉ちゃん……? 私の顔に何か付いてる? なんだか鼻息が荒いけど……」
「え、あっ、ごめんっ!」

 つい限界化してアンの事を凝視してしまっていたらしく、私は慌てて視線を逸らす。

「じゃ、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな……次からはちゃんと払うからね!」
「うんうん、またお腹空かせて来てね〜♪」
「ははっ、了解。マーナさんも今日はありがとう。また引率してくれると嬉しいな」

 マーナさんの視線に合わせてかがんでお礼を述べる。

「えぇもちろんよ、今度はもっと安全な採取ポイントに行きましょうね」
「採取クエには変わりないんだ……でもまぁお願いするよ」
「よしっ。じゃあユニ、今日は帰ろうか」
「うむ、では皆の者また来るぞ〜」

 私とユニは挨拶そこそこに、半日お世話になったお店を後にした。
 店の外に出ると空がすっかりオレンジ色に染まっていたおり、まさしく夕方という言葉に秘められた情景そのままといった具合だ。

「で、どうやって帰るの?」
「これでわしが実は帰れません! って言ったらどうするつもりなんじゃ? まだ帰れるとは一言も言ってないぞぉ? にししっ――んぐゅッ!?」
「それは困るんだよぉぉッ!! 住む場所無くなっちゃうんだよぉぉッ!!」

 帰れない可能性をちらつかせて脅してくるユニ。そんな彼女の肩を持って再びぶんぶんと振り回す。しかしさっきと違うのは明確に悪意を持ってやっている点だろうか? 今日が初対面にも関わらず、毎度毎度いじってきやがってこののじゃロリめ! このっ! このっ! 昔どこかで会ったことでもあるんですか? あなたは!

「わかっ、わかったから離さんかッ!! また目が回るじゃろ!!」

 ユニからの降参を確認して肩を離す。

「ふぅ、もう懲りた?」
「悪かった……わしが悪かった……うぇ……ぎもぴわるい……」

 さっきも少し思ったがユニは、三半規管がよわよわのくそ雑魚らしい。
 バーガーショップの前にある階段に座り、ユニを少し休ませる。

「それで、元の世界に帰るのって、なんか魔法を使う感じなの?」
「あぁ、今から使うのは“次元門”という魔法じゃ。お主とわしが一緒にいれば基本的にどこからでも帰れるぞ。そうじゃな……とりあえずそこの物陰に行こう」
「エッ……ちょっ、そんな……私たち今日が初めましてだし……」

 ユニのそんな言葉を受けて、私はその場でもじもじしながら頬を赤らめて恥ずかしがる演技をした。※ボケです。

「馬鹿なこと言ってないで早く来い、姉に怒られるのではなかったのか?」

 だが渾身のボケは軽くあしらわれ、ユニはすたすたと路地裏に入っていってしまう。

「もぉ〜、ちょっとくらいツッコんでよ!!」

 ツッコまれないボケほど恥ずかしいものも無く、別の意味で赤面した私もユニを追って路地へと入っていく。
 そこはまだ夕方だと言うのに薄暗くて人通りはもちろん無い。いかにも悪の組織とかが取引など人目を避けたい時に好んで使いそうなロケーションだ。

「なんか誰もいなくて怖くない……?」
「これくらいがちょうどいいのじゃ。何せ今からわしらが使うのは、今となっては存在すら忘れ去られた“古代魔法”じゃからな」
「古代……魔法……ってなんか凄そう(小並感)」
「まぁなんでもいいから手を貸すのじゃ、ほれ」

 めんどくさそうにユニが手を差し出してくるので、もうボケるのを諦めて大人しくその手を取ると、ユニが杖に変化した。

『では行くぞ?』
「ど、どんときやがれッ!」
『…………【次元門】』

 ユニが何やらかっこいい技名を呟いた瞬間、私たちを中心に淡い円状の光が発生する。

「うわぁなにこれ……綺麗――うぐっ!?」

 その光につい見惚れていると、突然頭の中に濃密な“何か”が流れ込んでくるのを感じて、激しい頭痛に襲われる。
 幸い頭痛はほんの一瞬で去っていったが、その後もチャームポイントであるかわいいアホ毛の真下辺りが、瘤でもできたようにジンジンと痛んだ。

「ゆ、ユニさん……今のは一体――」

 半泣きで頭をすりすりしながら、手元の杖に語りかける。

『大丈夫、それより流れてきた陣に意識を集中させるのじゃ』

 しかし至って冷静な声音で、青雷を使った時も言われた『集中』と言われてしまう。

「わ、わかった……集中、集中――」

 もしかして魔法を使う基本的なコツって、集中することなのだろうか?
 だとしたら昔からゲームとか以外では集中力が皆無な私に、魔法は向いてないということになってしまうが……。
『素養が無い者を救世主候補に選んだりせんわい。いいからキホンのキである集中じゃ』
「へ、へい……すいやせん……」

 催促された私は目を閉じて頭の中に残り続けている、靄で覆い隠された“何か”に意識を向けることにした。

「集中……しゆうちゆうぅぅ――」

 徐々に靄が晴れると、様々な作品で見てきたTHE・魔法陣が現れる。
 幾重にも重なった円と、その隙間を埋め尽くす見知らぬ記号群で構成されたそれは、黄金色の弱い光を放っている。

『よし、解読できたようじゃな。では魔力を陣にゆっくり注いでみろ』
「う、うん……やってみる……!」

 目を閉じたままユニの指示に応答し、見失わないように意識で凝視し続けていた魔法陣へ、未だなんとなくしか認知できていない魔力を流し込んでみる。

「むむむむ……」
『力を抜かんか、わしがストップと言ったら止めるんじゃからな?』
「ぶっ、なんかいくら丼みたいだね」
『集中しろ!!』

 しかし本当にこれ魔力を流し込めてるのかな?
 最初と比べて魔法陣の光が徐々に強くなっている気はするが……。
 数秒魔力注入を続けていると、魔法陣はその黄金色も相まって、まるで仏様の後光のようにピッカピカに輝いている。

『よぉし、ストップじゃ。それではあちらの世界に戻るぞ?』
「はぁ〜い」
『いい返事じゃが、一体いつまで目を閉じておるのじゃ……まぁよいか、せーのっ――』
「へ、もう開けてもい――きゃぁ!?」

 目を開けた瞬間、足元にあった光が目の前を真っ白に染め上げた。

「何……ここ……?」
「次元の狭間じゃな、来る時もここを通ったはずじゃが覚えてないのか?」

 私の隣には、いつの間にか幼女にフォルムチェンジしていたユニがいた。
 しかしぷかぷかと無重力空間に浮かんでいるようなこの空間。
 見た覚えは無いんだけども、なんか直近で無重力を体験したような……。

「あっ」
「ん、何か思い出したのか?」
「あぁ……思い返してみれば、ユニと会う前にエレベーターがもの凄いスピードで急降下しましてね? あれがそうだったのかって」

 そう、そもそも私が異世界に転移してしまったきっかけは、行列のハンバーガーショップを後回しにして乗ったエレベーターだった。
 そこから今日の嘘みたいな一日が始まったのだから、さながらあの時の私の絶叫は、冒険譚のプレリュードだったのだろう。
 うわっ、なんだか私今、めちゃめちゃうまいこと言っちゃった気がする!!

「何ニヤニヤしとるんじゃ、きしょいなぁ……ほれ、もう着くぞ」
「今なんて言っ――うわッ、いでぇ!?」 

 チンッ♪

 突然全身が重力に引っ張られ、私は床に激突する。

「いっててて……むむ、ここはもしや……」

 いつの間にか目の前は景色は真っ白な空間から、白い壁と青い絨毯の馴染み深いエレベーターの中へと変わっていた。

「あれ、ユニ……?」

 辺りをキョロキョロと見回すが、さっきまで隣にいたはずのユニの姿が無い。

「もしかして……夢、だったのかな……」

 口喧嘩ばっかりだったけど、なんだか昔から知っているみたいに気楽に話せたなぁ。
 基本人見知りな私なのに、初対面であれだけ打ち解けられたのだから、もっと――。

「もっと、一緒にいたかったな……」

 あれ、おかしいな。半日一緒にいただけなのに、なんだか心にぽっかりと穴が空いたみたいで、流れる涙はそこから溢れてるみたい。

「ん? なんじゃこの一瞬でイマジナリー彼氏にでも振られたか?」
「うぅん、違う。相棒――ユニともっと一緒にいたかったなって……」
「そ、そんなっ。照れるのぉ〜」
「って、何しれっとぷかぷか浮いてんのさッ!! 私の、乙女の涙を返せッ!!」

 哀愁が憤怒に変わる瞬間。皆様はこれほどまでに感情がアップ・ダウンしたことがあるだろうか? ちなみに私は今までになかった。それが今日起こった。
 私は背後に雷を纏う龍を顕現し、ぷかぷかと呑気に浮遊する金髪幼女を、殺気を込めた眼差しで睨みつける。

「げっ、おちっ、落ち着くのじゃ! 無事に帰って来れて良か――」
「それはそれッ! これはこれッ!」

 目一杯ジャンプして浮遊するユニを捕まえようとするが、思った以上にすばしっこい。

「このっ! 逃げんなッ!!」
「ちょッ!? これに関してはわし一ミリも悪く無いじゃろ!!」

 エレベーターから逃亡を図るユニを追いかけて、宇都宮フェスタ全館での鬼ごっこが開幕し、私は血眼になって獲物を追い続けた。
 もちろん、しばらくして駆けつけた警備員さんにしかられるのだが、それはまた別のお話ということで。
 ※この物語はフィクションです。ご来店の際はお連れの杖の精霊にむかついても、絶対に真似しないでください。

        ◇

 祭莉たちが帰って数分後。
 二人分の椅子が空いたテーブルには、マーナとアンが残っていた。

「なんだか騒がしい二人だったわね……はむっ」

 マーナは特注肉抜きアボカドバーガーを器用に前足を使って持って食べている。

「マーナちゃんに妹ができたみたいだったわね〜♪」

 るんるんと両手で頬杖をついて、アンが楽しそうに語りかける。

「あなたってほんといつも楽しそうね……それよりも怪我とかはないの?」
「祭莉ちゃんたちが助けてくれたからね〜私はなんともないよ〜」
「その気になればあんなやつら店に入る前から撃退できるくせに……末恐ろしい子ね」
「ふふっ、お客さんで来てくれたかもしれないのに、そんなことしないって〜」

 マーナは変化のないアンの楽しげな表情に背筋に何か冷たいものを感じた。

「んっんん! でも、祭莉の精霊魔法はかなり不安定……そう、ビギナーズラック的なものを感じたわ。本人曰く、あの青白い雷が初めてだったようだし……」
「私、気絶しちゃってて見れなかったんだけど、そんなに凄かったの?」
「あのゲーターが丸焦げになるくらいには……ね」
「ふぅ〜ん、確かにそれはさぞ強力だったんだね〜。考えられるのは生成できるエーテルの量が多いか……あるいは心強いアシストがあるから……とかね♪」
「急にキャラ守って楽しげに言わないでよ……でもアシストとなると――ユニの存在が大きいってこと?」

 思い返せばユニは戦闘の際には必ず杖の姿になっていた。もし、祭莉が生成したエーテルをユニが代わりに使って魔法を行使しているとしたら……? 祭莉は魔法を使った気でいて、本当は使えていないことになる。

「祭莉が一人でクエストに行ったりするのは危険かもしれないわね……それか誰かに魔法の使い方を教えてもらうとか――」

 そこまで言いかけて、自分が最も信頼する魔法使いの姿がちらつく。
 でも、もう彼女を頼ることはできないと、自分に言い聞かせて今は忘れることにした。

「だ・か・ら、しばらく二人の様子を観察してみよ♪ もちろんマーナちゃんも手伝ってくれるよね?」

 あまりにも眩しい笑顔に当てられ、マーナは数秒呆気に取られるが、その変わりようがおかしくて、すぐに吹き出してしまった。

「ぁ……ふふっ、ふふふっ。本当にあなたはいつも楽しそうね。ところでそれはちゃんとしたギルドからの依頼なのかしら? ギルドマスターさん?」
「もぉ抜け目がないんだからぁ〜、今日の戦闘で昔の感覚がちょっと戻っちゃったんじゃないの? 月喰みの魔狼さん?」

 互いの通り名で茶化し合って、二人の間に笑顔が戻った。
 すると突貫工事で直した店のドアが開き、赤毛の顎髭を貯えた大男が入店してきた。

「あっ、お客さん。ちょっと行ってくるね〜」
「えぇ、行ってらしゃい」

 マーナをテーブルに残し、ギルドマスターとしてではなく、かわいい看板娘として大男を出迎える。

「いらっしゃいませ〜、ラット・ライク・バーガーへようこそ〜♪」
「おぉ、これは心地よい歓迎だ。一人なんだがいいか?」

 職業病で大男の容姿を一瞬でチェックする。
 分厚い胸板でパンパンになったスーツを着込んでいるがサラリーマンだろうか、この辺では見ない顔だから、どこかの世界から出張で来たのだろうと答えのない推論を立てる。

「もちろん! こちらのお席へどうぞ〜」

 店内を見回し、空いている席を確認。今ちょうどマーナが居る隣のテーブルだけが空いていたので、大男をその席へと誘導する。

「メニューはこちらになります。お決まりになったら――」
「注文の前に一ついいかね、人を探しているんだ」
「あら、人探しですか?」
「あぁ、何やら凄まじい魔法を使う青髪の魔法使いがいると噂で聞いてな。一目会ってみたいと思ったのだ」

 この大男が探しているのは、明らかに祭莉だろう。
 まだ半日も経っていないのに、もうそんなに噂が広がっているのか。

「その子だったらさっきまで居たんですよ〜、とても明るくておもしろい子なんです♪」
「ほぉ〜武を探究する身として、ぜひ一度手合わせ願いたいと思っていたのだ! 今度はいつ来るのか、わかったりしないか……?」
「さぁ、タイミングまではちょっとわからないですね……」
「そうか……ならしばらくここに通わせてもらうとしようか。おっと注文を忘れるところだった……えぇっと……何かおすすめはあるか?」
「お客様にはそうですね……こちらのデラックスバーガーはいかがですか? 七種類のバーガーを一つにしたスペシャルな一品なんですよ!」
「ほほぉ、ならそれを一つ頼もう」
「かしこまりました〜、では少々お待ちください♪」

 注文を受けたアンが厨房へと小走りするのを、大男は優しげな顔で見送る。
 そこでふと、隣に座るマーナの側に立てかけられた漆黒の刀が目に留まった。

「そこの魔狼族のお嬢さん。君は剣士なのか?」

 突然話しかけられて、何の気なしに食事をしていたマーナは肩をビクッとさせる。
 今日自分が祭莉に話しかけた時も、きっとこんな感じだったのかと少し反省し、大男の方を見やると、彼は席についたまま顎髭を触って刀をまじまじと凝視していた。

「いえ、昔はそうだったんですけど、今は護身用に持っているだけなんです」
「ふむ、せっかくの得物なのに勿体無いな……だが見たところ鍛錬は怠っていないのだろう? 先ほどから身体の軸が一切ぶれていないのは猛者の証拠だ」
「……よく見てらっしゃるんですね、でもただ日課が抜けきらないだけですから。この刀も、身につけたスキルも今となっては宝の持ち腐れです」

 気持ちを表すかのように尻尾が下がって、バツが悪そうにそう告げる。

「なるほど、ぜひ君の絶技を拝見したい所だったが……まぁ、これも何かの縁だ、自己紹介させてくれ。わしはゼムリャー、武を探求する者だ!」

 大男・ゼムリャーは胸板を叩き、ニヒヒと笑って見せた。
 彼の闘志に満ちた表情に当てられてか、マーナの気持ちも少し上向きになる。

「えぇ、よろしくゼムリャーさん、私はマーナ。この辺りで植生学者をしているわ」
「あぁよろしく頼む、ところで――」

 ピリリリリッ――。

 ゼムリャーの言葉を遮って電子音が鳴り響く。

「あぁすまない、連絡が入ってしまったようだ。少し出てくるよ」

 マーナにひらひらと手を振って店の外へ出て、暗い路地に入る。
 ポケットから端末を取り出して画面を一瞥し、応答ボタンをタップする。

「ゼムリャーだ、何かあったか?」
『報告/先刻市街地エリア内ニテ次元門ノ発現ヲ観測』
「ほぉ……タイミングを見るからに、アダム様が仰っていた青髪の娘は賢者に関係がありそうだな……わかった、わしは少し街中で諜報活動をした後に戻る」
『了解/留守ハオ任セクダサイマセ』

 プツンッ――。
 もう間もなく日が沈み、夜空に月が躍り出る時間。
 その直前にある、最も夕日がオレンジに燃える空を見上げて、ゼムリャーはこう呟いた。

「早く会いたいぞ強敵よ。わしの闘志は既にこの夕日のように燃えておるのだから」

 ムズムズと昂る気持ちを拳で握りしめて、大男は沈み往く夕日を背に店へと戻るのだった。

        ◇

「さぁ……着いたよ……」

 フェスタからライトブルーの折り畳み自転車でマンションの駐輪場まで、法定速度ギリギリの全速力で疾走し、なんとか日の入り前には帰って来れた。
 スマホで時刻を確認すると十八時半を示し、夜空にはうっすらと星々が輝いている。

「おぉここが祭莉の家か! でっかいのぉ! もしやこんな豪邸に住んでいるとは、祭莉は貴族の令嬢だったのか?」

 ん、私の家がでかいだと? 普通のマンションだぞ?

「あぁ、もしかしてこれ全部が私も家だと思ってる?」
「違うのか?」
「ぷっ、ははっ! 違う違う、この中の一室が私の……というかお姉ちゃんの家なの」
「ほぉん……?」

 エントランスを通過し、階段を登って三階に行く。
 そして階段の前から数えて二つ目の扉の前で立ち止まる。

「はい、ここが私のお家でございます……」
「おぉ、ここが……!」

 表札には当然ながら【青乃】と掲げてられた三〇二号室こそ、我が姉が家主で私が居候しているお家だ。

「じゃあ早速邪魔し――うぐっ! なんじゃいきなり!」
(しーっ! ここでちょっと作戦会議を執り行います!)
「なぜ小声なんじゃ? まぁ良いが……して、作戦とは?」

 ドアの前で屈み、ここに至るまでに構築した、お姉ちゃんの気を逸らす完璧なプランをユニに伝える。

「なぜ、わしがそんなことしなきゃならんのじゃ……」 
(お願いだよぉ〜、ユニ様しかもう頼れないんだよぉ〜……)
「まぁ、理由はどうあれ連れ回したのはわしじゃからな……一肌脱ぐとするかの」
「よしっ、決まりだね! それじゃあお互いの健闘を祈って敬礼!」

 ユニにビシっと敬礼をし、意を決して玄関のドアを開ける。

「た、ただいまぁ〜」

 扉からひょこっと顔を出して、帰りの挨拶を告げる。

「あら、おかえり〜。まーちゃん?」

 がしっと掴まれた扉が、祭莉の意思とは反対に強制的に開かれていく。

「あ、あはははっ、ただいま。妃莉姉さん……」

 扉の奥から現れたのは、私がこの世で最も愛し、最も恐る存在である青乃妃莉だった。
 私と同じ青の綺麗に切り揃えられたショートヘア。
 これまたお揃いの黄金色の瞳は、気だるそうな瞼に半分隠れている。
 そして職業は小説家のくせになぜかいつも着ているスーツに飾られて、一見超バリキャリウーマンに見えるのだが、その実態は……。

「ねぇ、私。今日早く帰るって連絡したよね? どうしてご飯用意しておいてくれなかったの? お姉ちゃんのこと嫌いになっちゃったの? ねぇ、なんで何も答えてくれないの? こんな気持ちになるくらいなら、いっそ一人で――」

 そう、私の姉はめんど……少し変わり者で少しでも言いつけを破ったりすると、こうしてネガティブ沼にハマって一生捲し立てられてしまうのだ。
 いつもはほとぼりが覚めるしかないこの状況だが、今日の私には秘策がある。
 予定より少し早いが、このままだといつもの調子でお姉ちゃんのペースに乗せられてしまうので、もう隠し玉を召喚してしまおう。

「うぅ……じ、実はね。今日から日本に来た友達がいて、その子にこの街を案内してて遅くなっちゃったのぉ〜……(ほら、早く出てきてよ!)」
「お、お姉さんどうもなのじゃ〜、わしはユニ・オリオン。祭莉とはメル友で、今日から日本にやってきたのじゃが、泊まる場所が無くて……」

 若干演技がわざとらしいが概ね計画通り、ユニはネットで知り合った海外の友達という設定にして、お姉ちゃんに紹介する作戦! これは効くだろ。

「どうしていつもいつも――こ、この子……まーちゃんのお友達なの……?」
「そ、そうそう、リアルで会うのは今日が初めてなんだけどね。それでぇ……少しの間だけ、うちでホームステイさせてあげられないかなって思うんだけど……だめ?」

 姉はユニをあっちからこっちから観察し、何やらメモ帳に書き込んでいる。

「ふむふむ……変わった衣装ね……それにのじゃロリ属性持ちとはなかなかいいキャラだわ……」

「あ、あのお姉さ――」
「私のことはお姉ちゃんと呼んで!」
「う、うむっ! お姉ちゃん……? あと、これつまらないものじゃが……」

 そしてこの作戦のキモとなるフェーズ。ユニが差し出したのはアンが持たせてくれた小包だ。
 姉はそれを受け取り中を見るや否や気だるそうな表情が、ぱぁっと眩しい笑顔へと変化する。

「こ、これは食べ物! それも温かくておいしそうなハンバーガー! なんていい子なの……食べ物くれる幼女とか天使か……?」

 それを聞いてかユニが私の脇腹をつんつんし、限界化する姉を他所に耳打ちしてくる。

(なんというか……お主の姉だということがよくわかったのじゃ……姉妹ってここまで似るものなのかと、少し呆れるわい……)
(うちの姉がすみません……)
「よし決めたわ! 私、ユニちゃんのお姉ちゃんになります!」

 ふとに自分の世界から戻ってきた姉が、そんなことを口走る。
 だがつまりそれは――。

「これからは三人で暮らしましょうね♪ ほら、上がって上がって」

 狭い玄関を通せんぼしていた姉がようやく奥に行き、道が開かれた。
 なんだか嬉しくなった私はユニを見ると、彼女もニコニコしながらこっちを見ていた。
 そしてお姉ちゃんに聞こえないくらいの声で。

(流石は大女優)
(うむ、我ながら名演技じゃったわい)

 そう勝利を分かち合って、互いの拳をこつんと合わせた。

「ほぉら、二人とも何話してるの? お姉ちゃんは仲間外れなの? せっかくお家が賑やかになると思ったのに……私は――」
「あぁはいはい! ごめんって! ほら行こうユニ」

 半歩玄関に入り姉を宥めて、ユニに手を差し出し中へ誘う。
 なんだか今日はユニに同じように手を差し出されてばっかりだったから、図らずも逆の構図になっているのが、なんだかおかしかった。
 私の手を驚いたようにぽかんと見つめるユニの顔に、穏やかな笑みを浮かぶ。

「あぁ、世話になるのじゃ」

 そして私の手を取って、青乃家の敷居を跨ぐのだった。

to be continued.