
Q.朝はどうしてやってくるのだろうか?
それは全人類……いや、旅行前の人々とかはまた別かもしれないので、語弊が無いよう少し表現を付け加えて、全人類(一部除く)が朝日を仰いで浮かべる疑問だと思う。
かく言う私も中学生くらいから、そんなことを考えながら気だるい体を起こしている。
だけど今朝は、そんな憂鬱な気分がほんの少しだけ軽く感るのだ。
それはきっと、ベットのすみっこで猫ちゃんのように丸くなって、すぴすぴと寝息を立てている金髪の美幼女を眺めているからだろう。
「なんだ、このてぇてぇ生き物は……?」
その正体が、昨日成り行きで青乃家に居候することになった、杖の精霊であるユニ・オリオンなのは、いくら寝ぼけている頭でも理解できるのだが、その寝姿が起きている時の彼女のまるで悪ガキのような印象とはあまりにかけ離れていた。
カーテンから差し込むお日様の光をいっぱいに受け、輝く長い金髪。昨日お姉ちゃんと悪ノリで着せたサイズピッタリの純白のネグリジェを身に纏った姿は、まるで由緒正しい家柄のお嬢さんのようだ。(私のおさがりだけど)
そして何より、穏やかな呼吸に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返しているほっぺたに、私の目はもう釘付けだった。
「これ、絶対柔らかいやつだよね……どれ、ちょっと失礼して――」
ぷにっ
しっ、沈んだッ! 指がッ!! それも第一関節までッ!?
ほっぺたとはこうも柔らかいものだったろうか……?
その真相を確かめるべく試しに自分のをつついてみるが、いくらピチピチの二十歳女子のお肌を以てしても、ユニの赤ちゃんほっぺの感触とは雲泥の差があった。
ぷにっ ぷにっ ぷにっ
この病みつきになるこの感覚……どこかで経験したことがあるような気がする。
あ、そうか。これは昔大人たちがみんな持っていた『無限プチプチ』を、頭空っぽにしてずっとやっている感覚に近いかもしれない。
ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ ぷにっ
「ほっほぉ~♡ こりゃたまりませんなぁ~」
一ぷに毎に、朝の憂鬱さがみるみる軽減されていくのを感じる。
そうだ、これを今度の動画のネタにしよう。タイトルは……
「ずばり、【ガチ検証】幼女のほっぺ無限ぷにぷにで、ストレスは――」
「――随分と楽しそうじゃな、祭莉よ」
と、新たなネタを思いたのも束の間。企画終了のお知らせが冷たく告げられる。
いつの間にか起きていたユニが、まるで汚物でも見るような鋭い視線で私を見据え。
隠しきれない怒気を含んだ声に、私の体中の筋肉が硬直した。
「お、おはぷにぷに~……ははは……は」
何か言わなと思い“おはよう”と、直前まで口にしていた“ぷにぷに”が合体して、妙な挨拶をひねり出したが、ユニの表情は一向に変わらないどころか眉間のしわがどんどん寄っていく。
「なぁ祭莉よ。“ぷにぷにしていいのは、ぷにぷにされる覚悟のあるやつだけだ”という言葉を知っておるか?」
そう言って手をワキワキさせて、徐々に距離を詰めてくる。
「し、知ってるけどなんか違うよ!」
「まぁ細かいことは気にするな。さぁ、頬を差し出すのじゃ」
そして何よりも怖いのが、顔は笑っているはずなのに目が笑ってないところだ。
「ちょ、落ち着いて……目がマジだから!」
「問答無用! 覚悟ッ!!」
「ひぃッ――」
ピリリリリリリリリンッ!
万事休す、跡形もなくぷにられるかと思われた次の瞬間。
ベットの傍らに置いていたスマホから、けたたましいアラーム音が鳴り響き、私達は一斉に音源を凝視する。
ひとまずアラームを止めるため、アイコンタクトで「止めてもいいですか?」「よかろう」と許可をもらい、スマホを手にとって停止ボタンをタップする。
「いやぁ、ビックリしたー……って、もうこんな時間!? これ三個目のアラームじゃん!!」
これは共感してくれる人がいるかもしれないが、私はバイトなど絶対に遅れられない予定がある日は、アラームを十分刻みで三段階にかけている。
さっき鳴り響いたのは、最終防衛ラインの三個目、その名も「ほんとに起きろ。」。
きっとその前の二つは脊髄反射で止めてしまったのだろう。
これで本当に遅刻した日があるんだから…………。
「ふ、ふむ……邪魔が入ったが改めて……」
「ごめん! まじでバイト行かなきゃだから! 遅刻するぅ~!!」
報復の続きをするべく、再び接近を始めるユニを寝返りで華麗に回避し、どたどたと慌ただしく着替えを済ませて洗面所に走った。
「あっ、こら待たんか〜!」
部屋からそんな怒声が聞えたような気がするが、それはバシャバシャと顔を洗う水の音でかき消された。
◇
「あ~……暇じゃ……」
家を飛び出していった祭莉を見送ってから、大体二時間くらいが経過しただろうか。
その間、二度寝をしたりごろごろしていたユニは、退屈に耐えかねて情報量の多い六畳間ちょっとの広さがあるオタク部屋の探索に乗り出していた。
「しかし本当にオタクじゃな……」
部屋の壁を覆い隠す本棚には大量の漫画やライトノベル、ゲームソフトにフィギュアに円盤のボックス。
果てはゲームの大会か何かだろうが、トロフィーまでもが几帳面に収められている。
ユニにはもちろん、何が何だかわからない代物たちだが、試しに気になったものを手に取ってみることにした。
最初に手に取ったのは、ユニでも届く低い位置にあった漫画。
本のタイトル【ドキッ☆胸キュンプリンス】の文字を脳が認識して、少し顔を引き攣らせるが、気を取り直して小口に貼られた付箋のページをめくってみる。
そのページでは表紙にも載っていた爽やかな容姿をした王子が、ヤンチャそうな風貌のヒロインに一目惚れして、頬を赤く染めていた。
別の付箋が貼られたページでは王子が意外にもヒロインに壁ドンされていたり、周りの後押しもあってヒロインに愛の告白をしていたりと、タイトルに偽りなく王子の胸がキュンキュンしている名シーンが目白押しで、その部分をすぐに読み返せるよう付箋を貼って目印にしているのだと推察できる。
試しに別の本も取るがどれもこれも付箋がびっしりで、まるで大学生の使い込まれた参考書のようだ。
「ふむ、意外とマメな性格なんじゃな。後で読んでみるとするか……さて、次は――」
次は何で時間をつぶそうかと視線で各棚をなぞると、右腕に装備された大きな剣が特徴的な青と白のカラーリングで、少年のような幼さを感じる顔立ちのロボットがふと目に留まった。
台座から取り外して手に取ってみると、想像よりもしっかりした重みがあり、プラモデルの類ではないのがわかる。
そして何よりも目を引くのはその細部の精巧さだろう。こうした物は当然初めて見るユニだが、美麗な彩色や細部に施されたデカール、そして動くかな……と恐る恐る触った部分が大体動くことに、目を輝かせざるを得ない。
「おぉ、こいつ動くぞ! なかなか面白いのぉ!」
右手の大剣を振り抜いたようなポーズを崩して、腕や脚をガシガシ動かしたり、「ぶーん!」と無邪気に口にしながら手狭な部屋を走りってブンドドする姿は、元気いっぱいな子どものようで実に微笑ましい。
が、こんな時のお約束と言えば……
「行くぞ、名も知らぬ青きロボよ! ぶ~――うわっと!?」
秒速フラグ回収。やはりというべきか、カーペットに足を取られ、顔面から盛大に転んでしまった。
バキッ……!!
この手の玩具から絶対に聞きたくない破損音が、静まり返った部屋に鈍く響き渡った。
「あっ……」
右手に握りしめた細身なロボットを見やると、上下ともに尖ったシールドを装備した左腕が胴体とさようならしていた。
「……ま、まぁ今朝のお返しということで……そ、そうじゃ、これをこうして……」
ぶつけたおでこをさすりながら、近くにあった布で左腕をが無いことを隠蔽してみる。
「…………」
だが、これではバレるのも時間の問題だろう。
「……よし! わしも出掛けるとするかな」
気持ちを切り替えて指をぱちんと鳴らすと、純白のネグリジェが光の粒子となり、一瞬にしていつもの淡藤色のローブへと変化した。
「さて、行くか」
魔法で着替えを済ませたユニはおもむろに窓を明け放つと、低級古代魔法である【浮遊】でぷかぷかと浮かんで、そそくさと宇都宮の街へと繰り出すのであった。
◇
ここは栃木が誇る峠・いろは坂――ではなく、フェスタ地下のゲームセンター。
「ふぅ〜、今回も勝てたぁ……」
私のお気に入りは高速道路を走る方ではなく、峠を攻める方のアーケードゲームだ。
「へへへ~、もう一回やっちゃお~♪」
ポケットからガチャガチャとアーケード用に百円玉をぎっしり入れたがま口財布を取り出し、そこから一クレをチャリン♪
たまには対戦じゃなくてタイムアタックでもしようか。
いろはは十分堪能したから、今度は初見でカーブの多さにビビりまくった八方ヶ原でも攻めてみるとしよう。
にっこにこでコースを選択し、次に流すユーロビートを選んでいると、不意に誰もいなかったはずの隣の席に気配を感じた。
「――ッ!?」
バッと首を左に九十度回して、左隣のお豆腐屋さんのシートを見ると、そこには見知った金髪幼女が座っていた。
「よぉ、奇遇じゃな。真昼間から随分と楽しそうで何よりじゃ」
「うげっ!?」
デモモードの映像が流れる画面を見ながら、割と楽しそうにハンドルを回したり、シフトをガチャガチャして遊んでいる。(もちろんペダルに足は届いてない)
「して、今朝バイトに行くとかなんとか抜かして家を出たと思うんじゃが……これが仕事なのか?」
「えっと……仕事では無いのですが……食休み的な? 今お昼休み中だし……?」
現在の時刻は十二時半頃を回ったくらいだろうか。
バイトの日の昼時は大体うどんか焼きそばを速攻で平らげて、フェスタ地下のスタジオプリモにGOして、午後の戦意を養っているのだが、はた目から見たらただただ仕事をサボって遊んでいるように見えてしまうことだろう。
「はぁ……つまり暇ということじゃな?」
「えっ、いや違っ。これやったらボル――じゃなくて事務所に戻って仕事しようと……」
「では行くぞー【次元門】」
「やだっ、待って! もう始まっちゃ――」
私の制止も空しく、ユニが小声であのかっこいい転移魔法を詠唱すると、シートに座る私達を光が包み込み、一瞬にして昨日の中断地点である路地裏に飛ばされていた。
「さぁ、今日から本格的にオーブを……って、どした?」
くるりと回ってユニが私にそう呟くが、私は下を見てプルプルと震える拳を握りしめる。
そして――。
「んなぁぁんでぇぇぇぇ!! どぉぉじでだよぉぉぉぉおおおお!!」
と、年甲斐もなく異世界の空に向けて、いろんな感情を含んだ叫び声を解き放った。
――しばらくして。
「それでー、今日はどちらまで行くんでしょうかね?」
「なんでちょっとトゲがあるんじゃ……自業自得じゃろ、このサボり魔め」
「サボってないです休憩中だったんですぅ〜! それにあれ放置したらお店に迷惑かかっちゃうでしょうがッ!! タイムアタックだったからまだよかったけど、あれが対戦だったらと思っただけで……んきぃぃ!!」
「あ~また始まったわい……」
頭を抱えて発狂する私に目もくれず、ユニは近くに置いてった木箱の上にちょこんと乗っかって大きく咳払いした。
「え~こほん! 祭莉よ、一旦落ち着いて聞くのじゃ」
「これが落ち着いていられるか!」
「落ち着けぃッ! お主をこの世界に呼び寄せた理由は覚えておるか?」
「いやいやユニさん、さすがに昨日の今日で忘れませんよ〜」
ユニと出会ったのは昨日のお昼の出来事だ、さすがに三歩歩けば忘れる鶏じゃないんだから覚えているとも。
手をひらひらさせ、余裕の表情で昨日の出来事を振り返って口を開く――が、思ったよりいろんなことありすぎて最初の空中庭園での会話まで、うまく記憶を遡れずにいた。
「あ、あれでしょ? あれだよ、あれ……そう、救世主!」
「……救世主になって?」
「うわ、続きがある!? えぇっと……まっ、魔王!」
「を?」
「た……倒す……?」
頬に一筋の汗を伝わせ、その後に繋がりそうな単語を自信無さげに呟くと、ユニがはぁと大きくため息を吐いた。
「チョー嚙み砕いて言ったらそういう事じゃ……先が思いやられるな……」
「あ、あのユニ先生! 質問があります!」
授業中に質問するように手を挙げて、壇上のユニへと質問を投げかける。
「うむ、青乃くん。発言を許可しよう」
「私まだ【青雷】しか使えないんですけど、それで魔王は倒せますかー?」
現状使った記憶にある魔法といえば、ゲーターを丸焦げにした青き救世の雷である【青雷】だけだ。
しかし、あれだけ大柄なリザードマンをたった一撃で戦闘不能にして、尚且つ初めての使用だったのだ、きっと使い方やらなんやらをもっと修練していけば、スキルレベルが上がって魔王だって屠れるのではなかろうか……!
あぁ、これが――“異世界人の力”ってやつ? 異世界転移・転生モノの主人公の皆々様方、私も今仲間に――。
「いや無理に決まってるじゃろ、頭おかしいんじゃないか?」
――なろうとしたんですけど、どうやらまだダメみたいです……。
「シンプル悪口!? じゃ、じゃあどうすれば……?」
「お主、昨日の話聞いておったのか? 七つのオーブにはそれぞれに賢者が習得していた七つの魔法……謂わば“スキル”が納められておるからして――ここ第一世界の……」
オーブ――昨日からユニの話に度々出てくる七つの魔法が封印された結晶。
そういえば昨日の夜、部屋で少しだけ教えてもらっていたんだった。
たしか各世界から入れるダンジョンに隠されているって話で、そこを攻略しに行こうって話だったはず……だんだん昨日の記憶が蘇ってきたぞ!
「あー確かにそんなこと言ってたね〜完全把握。で、今日はそのダンジョンに行くんですかい?」
「なんじゃ話が早いな、よいしょ。では行くか、先に――を――」
ユニは木箱からぴょんと飛び降り、何かを呟きながらてくてくと通りの方へ歩いていってしまうが、普段から若干ぼそぼそ喋るせいか、さっきから所々聞き逃してしまい、行き先を聞きそびれてしまった。
そんな杖の精霊を目で追うだけ追って、大きなため息を吐く私は……
「なんだかなぁ……バイトクビになっちゃうよぉ……」
と、ぼやきながらしぶしぶユニの後に続いて、昨日と変わらずモンスターたちで賑わう通り――【オリオンストリート】へ昨日ぶりにやってきた。
やはり何度見ても、景色がどことなく現実のオリオン通りを想起させ、薬局があるはずの場所にはポーション屋の看板が、小物やアクセサリーを扱うお店の場所にはマジックアイテムショップが店を構えており、なんらかの因果のようなものを感じざるを得ない。
「もしかしたらカレーショップ フジとかもそのままあったりするのかな? 今度行ってみよ〜っと」
この街の中で好きなお店は多々あるが、カレーいうカテゴリーで言ったらやはりフジのカレーが食べたくなるのが、宮っ子だろう。
レトロで趣のある外観。優しい価格帯のメニュー。そして何よりあのボリューム感!
ルーに入ったレーズンの甘酸っぱさが、カレーの味を引き立たせていているのだろうか? 最後の一口までまったく飽きずにいけてしまうあれもある種の“魔法”だ。
「って、ユニを探さなくちゃなんだった」
通りに出てすぐ右が、昨日何かと世話になった【ラット・ライク・バーガー】が店を構えており、今日はがっつりお昼時だからか行列ができていて、かわいい看板娘がいる店の盛況ぶりを感じさせる。
「おぉ、これはなかなか……昨日はラッキーだったね」
昨日は昼過ぎということもあってか、特に並ぶことなく入店してすぐに着席し、あの味を楽しめたのだから実に幸運だったといえるだろう。
やはりこういった人気店に行く時は、ゴールデンタイムから少し時間をずらすことが攻略の秘訣なのかもしれない。
「おっとと……えっとユニ、ユニ……」
辺りを見回し、人混みならぬモン混みでも目立ちそうな白いローブ姿の幼女を探す。
「――祭莉ちゃん?」
そんな時、聞き覚えのある優しげな声音が鼓膜を震わせた。
声の方を見るとそこにいたのは、見ているだけで甘い香りがしてきそうな桃色の長い髪を、黄色いシュシュで左右二つにまとめて、水色のワンピースの上に纏った小麦色のエプロンがよく似合う少女・アンが、ヴァイオレットの大きな瞳を心配そうにこちらに向けていた。
「あ、アン……!」
「ふふっ、こんにちわ♪」
「あ、えっと……ども~」
人見知り故、まだ出会ったばかりの人だとこのありさまである。
そこでアンの後ろ、水色のワンピースの影に、綺麗な金髪が微かにチラつく。
首を左に傾げてその奥をじっと見ると、探し人が口元を必死に抑え、今にも飛び出しそうな笑いをガードしながら笑っていた。
が――
「ぷっふふふ……祭莉よ、ろくに挨拶もできんのか? ぷふふ……」
「ちょ、ちょっと笑うな! こんな可愛い子を目の前にしてまともに凝視できるか!」
「そんな……可愛い子だなんて……!」
「あぁ今の無し今の無し! んぐぐぐぐ……くっ殺ッ! てかユニ、急にいなくならないでよ。迷子になったかと思ったじゃん」
「はぁ……本当に話を聞かないやつじゃな。ダンジョンの立入許可証をギルド本部に取りに行くとちゃんと言ったじゃろ?」
「ぼそぼそ独り言みたいに喋るから聞こえなかったんです〜!」
「わかったわかった……ごほんッ!! え〜ダンジョンに入るため、登録も済ませていない新顔がぽっと出で行ってもだめじゃろうからして――」
「ギルド支部の受付嬢である私の紹介で無理やり申請を通したいと思いま〜す♪」
さっそく反省を活かし、少し声量の上がったユニの言葉に、アンが何やらとんでもないことを続ける。
ラット・ライク・バーガーはギルドの支部でもあり、その受付嬢であるアンの口添えでゴリ押すため、本部に赴く前にアンの所に寄ったのだろう。
さてはこの精霊、昨日の内に話を付けてたな?
「いやぁ……いくら受付嬢とはいえ、そんな職権濫用のごり押しで行けるもんなんですかね……? 立入許可証がいるってことは戦闘力皆無の私が行ったら危ないんじゃ……」
「何、案ずるな――お主のことは、わしが命に変えても守るからな」
え、何それめちゃくちゃイケメンじゃん……。
不意に放たれた「〇〇は俺が守る」系のセリフに思わずキュンしてしまう。
思い返せばゲーターと対峙した時も、森でロボットに追いかけ回された時も、彼女のおかげで私は今もこうして生きているのだ。
だからきっとダンジョンに行っても……
「って、いやいや! いくらユニが強くても私のレベルが低かったらダメでしょう! もうちょっと草原とかでレベリングとかしてから行くべきじゃないの!?」
ユニはきっと私が想像しているよりもずっと強くて、まだ力を隠しているとゲーマーの勘が告げている。
なので彼女が命に変えても守ると言ったら、きっとなんだかんだで助かってしまうのだろう。でもそれでユニが怪我でもしたら嫌だ。というのが、一番の……いや、二番の本音だろう。
ちなみに一番の本音はというと……
「ダンジョン行くなら、絶対にレベルキャップギリギリまで上げてからじゃなきゃ、アイテムとかMPとか、いろいろジリ貧になって大変なんだからね!」
というゲーマー脳全開の発想が第一の本音だった。
「チッ、セオリー通りにしか動けないゲームオタクじゃな……ほれ行くぞ。今度は迷子にならんようにな~」
とうとう面倒くさがられたのか、それとも私の対処を会得しつつあるのか。ユニはちっちゃい手をひらひらとさせて、そそくさと歩き始める。
「ほら、私たちも行きましょ? 今度は迷子にならないよう私が手を繋いでおいてあげるからね♪」
そう言ってアンが手をぎゅっと握ってくれる。
他意はない、きっと彼女が持ち合わせている親切心から来る行動だろう。
でもなんでだろう、めっちゃはずい! そんなことないはずなのに綺麗な顔で笑いかけてくれる萌えキャラに手を握られてるのに、素直に狂喜乱舞できない!
「よぉ〜し、れっつご〜♪」
「お、おぉ〜……」
やけにテンションの高いアンに手を引かれて、私たちは先行するユニの後ろへと続いた。
◇
手を引かれた私は、第一世界の冒険者ギルド本部へとやって来た。
現実世界で宇都宮フェスタがある場所がアンのお店として、オリオンストリートを西へ少し行くと、馬車が往来する【メインストリート】という名前そのまんまの大きな道と交差する。そこを左折して南へ十分ほど歩くと正面に見えてくる大きな建物が、それにあたる。
外観は若干の相違点はあるものの、概ね私達が良く知る市役所その物だ。
特に正面入り口の壁に添うように設置された筋肉みたい(※個人の感想です)な朱色のモニュメントが、生まれも育ちも宇都宮の私には既視感しかなかった。(ちなみにこの作品のタイトルは「親和体」と言って、彫刻家・清水九兵衛さんが手掛け、一九八六年に宇都宮市役所の正面入り口付近設置されたアート作品。タイトルの通りにタイル張りの床を壁に立ち上がらせて、その面に添って横長のフォルムを途中から全面に突き出させて、ステンレススチールの柱によって支える構成とし、フォルムとフォルムの結びつき、馴染みあいを重視した清水さんの特有の中でも、作品と床や壁など建物との“一体化”を意図しているらしい。清水さんの作品たちは京都などに設置してあるらしいので、興味のある方は是非旅行に行ってみるといいかもしれない。)
と、カッコ内で語った内容は全て、このモニュメントの傍にあるプレートに書いてあることだが、よく「何をモチーフにしているの?」なんて声をSNSで見かけるので、ここぞとばかりに栃木豆知識をひけらかしてみた次第である。
まぁ、意味が分かるとこの作品の良さがひしひしと、伝わって……来る……よね?
もし私の目が明るい内にこの作品のアンチが現れたら、そいつの耳元でこの作品の意味や良さを延々囁いてやることにしよう。
「なんじゃこの赤いのは……キm――」(※個人の感想です)
「ユニちゃんストーップ! ちょ~っとお口チャックしようね~!! (いいかな? この作品は親和体って言って――)」
「んぐッ!? ん~ん~ッ!?」
間一髪のところで言ってはならない事を言おうとした相棒の口を抑え込むことに成功し、流行に便乗して自分のチャンネルで公開したら「呪詛」というコメントが大量に付いた、囁きボイスでの先ほどカッコ内でお伝えした作品説明を開始する。
が、ユニが苦しそうにバタバタしているので、とりあえず強めに抑え込んでいた口を解放すると、ぜぇぜぇと息を荒げている。
「ぷはっ! き、気色悪いから耳元で囁くな無礼者ッ!!」
「き、きしょ!? ひどぅい……」
いつもは画面越しからだった匿名パンチを、まさかライフで受ける事になろうとは、これはなかなか心に来る物がある……。
わ、私だって割と普通に女の子らしい声してるし、親友とカラオケ行った時には無数に存在する十八番(全部アニソン)を調子良くて九十四点くらいは取れるし、年がら年中のど飴を舐めてるし、加湿器だっていつも付けてるし――。
「お、お~い……わしが悪かったから帰ってこ~い」
「……はっ! いげねいげね、危うくお姉ちゃん化するところだったぜ」
皆さんご存じの通り我が姉・妃莉は極度のネガティブ人間であり、一度ヒスってしまうとしばらくこちらの世界には帰ってきてくれない。
昔は明るく何事にもポジティブで、見ているこっちが心配になるようなふわふわした性格だったのに、大学進学のために家を出てからしばらく連絡を取っていない間に、正反対のネガティブおばけに変わってしまった。
そんな姉と約二年もの間、一つ屋根の下で暮らして、私の精神も徐々に侵食されてきているということだろうか? まったく末恐ろしい話である。
「二人とも~、早く行こ~?」
「おぉ、今行くのじゃ~。ほれ、お主も行くぞ」
「はぁい……」
いつもの如く口喧嘩……というつもりは無いのだが、モニュメントの前で足を止めていた私達に痺れを切らしたアンから催促の声がかかり、入口へトボトボ歩いた。
オタク心をくすぐるフォルムの斧槍を携えた甲冑が両端に佇む入り口を抜けると、そこに広がっていたのはカウンターがずらりと並んで、どことなく現実の役所のように静かで厳かな空間だった。
(……なんか思ってたよりも普通な感じ?)
図書館とか役所でよくやっちゃうように少し声量を下げ、私はぽつりと感想を述べる。
なんというか、オタク脳の私が想像していたザ・ファンタジーの酒場と融合した陽気な空間は、アンのお店の方がよっぽど近い気がして拍子抜けする一方で、この知ってる空気感にどこか安心している自分もいた。
「ん~、大体こんなものじゃない? ほら、あそこのカウンター空いてるから行こ♪」
慣れっこといった様子のアンに促されて、私たちは空いていたカウンターに立つ受付嬢の元へ行く。
カウンターに立っていたのは、きっちりとしながらも可愛らしさを兼ね備えた制服に身を包んだ栗毛のケモミミ少女だった。
「ようこそ、ギルド【賢者の剣】へ! 本日はどういったご用件でしょう」
こういうのを獣人というのだろうか? 私は明言するほどのケモナーというわけではないのだが、先ほどから彼女の後ろで細身なしっぽがふりふりしていて気になる……ちょっと触りたい……いや、す~りすりしたい……!
「あのぉ……ご用件は……」
「ひぇっ? あ、あぁ~えっと、そのぉ……」
思わず未知との遭遇に気を取られ、彼女のしっぽをガン見していたようだ。
まるで不審者でも見るような冷ややかな目が私に向けられている。
は、早いところ用件を伝えて、怪しい者ではないとアピールしなければ……!
自然に、ごくごく自然にぃ……!
「あ、あのぉ……初めてギルドに来たのですが……ここに来ればダンジョンに入る許可証を貰えるって……聞いたんですけどぉ……へへへ……」
「不審者陰キャ」
「そろそろツッコミが入ると思ったよ! ってか普段より称号が不名誉な物になっているような気がするんですけど!」
渾身のごく自然なコミュニケーションは、逆に不信極まりなかったらしく、お決まりと言わんばかりにユニのツッコミが入る。
助けでも求めるようにアンの方を見るが、彼女も「ははは……」と苦笑していた。
おっかしいなぁ……こういう時「祭莉は不自然なまでの笑顔をふりまけば万事解決」と唯一の親友に習ったのだが、どうやら異世界でこの手法は通用しないらしい。
「え、え~っと……ダンジョンへの入場許可をご所望……という事でよろしかったでしょうか?」
「あっはい! そうですそうです~……へへへ……」
流石受付嬢だ、私の貧困なボキャブラリーで紡がれた言葉の羅列から、本質を言い当てるとは。
この子、可愛い顔してただ者じゃあねぇ!!
伝えたい事を汲み取ってもらえた嬉しさのあまり、再び不自然なまでの満面の笑みを獣人受付嬢に送る。
が、返ってきたのは表情筋を最大限に引き攣らせた苦笑いだった。
ともあれ、何とか目的を伝えられたので、後は手続きやらなんやらを済ませれば、私も晴れて初ダンジョンに出p――。
「申し訳ございません! 本日の迷宮試験は受付が終了してまして……あとギルドが初めてとの事ですが、そうしますとギルドカードの登録からとなりますので、こちらの手続きが一ヶ月ほどかかってしまうのですが……」
「なっ――なんだって~~!?」
こうして青乃祭莉は灰となり、短いようで短かった異世界冒険譚は幕を下したのであった――――。
オリオン・ファンタジア【完】
「しくしく……えんえん……」
その場でうずくまり、NTフィールドを最大展開。もう梃子でも動かん。
私、試験があるなんて聞いてないし、おまけに試験を受けるための資格も一ヶ月かかるとか……もう今日行けと思ってワクワクだったのにぃ……一ヶ月も待てないよぉ……。
などと欲しい物を買ってもらえない子供のように拗ね散らかしていると、私の肩がポンと優しく叩かれた。
曇り続ける表情で叩かれた方を見やると、そこには天使のような微笑みを浮かべるアンが居た。
「ふふっ、ここは私に任せて♪ あのぉ~、どうしても今日この子に試験を受けさせてあげたいんだけど~……だめ?」
そう言ってアンはカウンターに頬杖を突き、ニコニコと笑って受付嬢に交渉を始めた。
とはいえ、いくらアンもギルドの受付嬢だとしても、事務処理とかそういう問題でだめなのだろうから、流石にそれを覆すのは難しいのでは……?
ま、まぁここは任せろと言った彼女を信じて見守るとしよう。きっと何か策があるに違いない……たぶん。
「え、えっと……ですから本日は受付が終了してまして、手続きにもお時間が……」
「え~、そこをなんとか~……ね? お願い♪」
(アン選手のエンジェルスマイルが炸裂ゥ!! その様はまるでねちっこい迷惑客のようだ!! 対して規則を後ろ盾に一歩も引かない受付嬢! この勝負、一体どうなってしまうんだァ!?)
「なんとかと言われましても……ん? あなたどこかで見覚えが……って、あなたは!?」
「えへへ~、で? いいの? だめなの? ねぇどっち?」
(おや……これは一体どういう状況でしょうか……? 受付嬢がアン選手の顔を見て気圧されているぞ! 更にアン選手の声色が冷ややかな物に変化して、確かな圧をかけている!! 実況席で聞いている私もその氷のように冷たい声で、低温火傷寸前です!)
「おい」
(おや、解説のユニさんどうされましたか?)
「わしの耳元で実況ごっこするのはやめろ」
「……はい」
交渉がスタートしてからユニの肩に顎を置き、一部始終を実況していたのだが、流石に怒られてしまった。
と、ふざけている内に勝負……否、交渉に明確な動きがあったようだ。
依然ニコニコ頬杖を突くアンに見守られ、受付嬢が大層焦ったご様子で、何らかの書類を光の速さで認めていた。
「えっと、これは……」
「お願いしたら試験受けさせてくれるって♪ よかったね、祭莉ちゃん」
「え、マジ……? でも私、ギルドカード持ってないし……登録に一ヶ月かかるって」
「そ・れ・を、今頑張ってやってくれてるんだよ~、いやぁ優しい受付さんに当たってよかったね~♪」
「ひぃ~~!!」
まさか受験のチャンスを勝ち取るのみならず、ギルドカードの申請までごり押してしまうとは……異世界人の図々しさ恐るべし!(※誉め言葉です)
程なくしてぜぇぜぇと息を切らした受付嬢が、書類と羽ペンを私に差し出してくる。
「で、ではこちらに登録情報のご記入をお願いします~……ぜぇぜぇ……」
「え~っと、どれどれ――うぐっ、読めぬ……」
お店でポイントカードを作る時に求められるような会員情報の記入も、異世界だと楽じゃない。だってこの紙に記されている文字が、一文字も読めやしないのだから。
涙を浮かべてアンを見ると、「はいはい」と私の思考を汲んでくれたらしく、傍らからその枠に何を書けばいいのか補助してくれるのだった。
私は言われるまま、氏名、年齢などこの手の書類に書きそうな情報を書き込んでいく。
しかし少し話しただけで試験もギルドカードも何とかするアン……彼女は一体何者なのだろうか?
異世界には詳しいつもりだが、受付嬢にそんな権限があるのかは私の窺い知れるところではないが、冒険の序盤で彼女と知り合えたのは幸運であったことは間違いないだろう。
「祭莉ちゃんってすごく字が綺麗なのね~」
「え? あっははは、そうかな? 昔おじいちゃんの言いつけで書道を習っていたから……かも?」
無意識に躍らせていたペンの軌跡は、自分で言うのもあれだが見事な達筆だった。
おばあちゃんに書道を叩き込まれたからだろうか、なかなか直筆で文字を認める機会が減った現在になっても、割とまだ手先が覚えているらしい。
「ショドー? ねぇ、ところで……これはなんて読むの?」
「え? ……あっ」
そこで気付く、見知らぬ文字の書類に日本語で記入して問題ないわけがない、と。
「あのぉ……書き直してもいいでしょうか?」
まさかこんなところで時間を取られる事になるとは……急いで書き直しを始める私の後ろでは、ユニがやれやれと言った様子で額に手を当てていた。
to be continued.