
アンの協力もあり、異世界語で書類を完璧に書き直した後、私はギルド本部の地下に広がる、灰色のレンガが敷き詰められた無機質な演習場へ通されていた。
演習場の中央には迷宮試験が行われる舞台があり、その周りを囲むように設置された見物席にはちらほらと見物人が見える。
ちなみに、あくまで私個人の力量を測る試験なのでユニの同行は許可されず、今頃アンと共に優雅にアフタヌーンティーでも楽しんでいる頃だろう。
正直、昨日の戦闘ではユニに頼っていた部分が大きいため、彼女の不在は割と致命的な気がするが、まぁそこは多分なるようになるだろう。
「それでは特別試験を開始します。受験者は前へ――」
「ひゃッ……ひゃい!!」
試験官に呼ばれ、右腕と右足、左腕と左足を同時に前に出して前進する。
ん、何故こんなロボットみたいな動きをしているかって? そりゃ試験とか緊張するからに決まってんじゃん。あまりインドアタイプのオタクをなめるなよ?
それに私が緊張しているのには、もう一つ理由がある。それは……。
「アァーハッハッハッハッ!! おいおいあの嬢ちゃんの動き見てみろよぉ」
「異例の特別試験をやるっていうから来てみれば、あんなお嬢ちゃんが受験者かよ!」
それは……ギャラリーの民度が低い!!
ゴブリンより二回り程大きいからオーガだろうか? 彼らは見世物でも見ているかのようにバリボリとスナックを頬張り、ゲラ笑いを続けている。
百歩譲って試験を見られるのはいいのだが、こうして試験中に野次を飛ばされるかと思うと胃がキリキリしてくる。
バレない程度にキッとオーガたちを睨み付け、ようやく広い舞台の端に立つ、試験官であろう栗毛のケモミミ少女の元へと辿り着いた。
どことなく受付をしてくれた子と似ている気がするが、姉妹だろうか?
「危険が犇めくダンジョンに足を踏み入れられるかか否かを見定める試験――【迷宮試験】へようこそ」
「迷宮……ゴクッ……試験……!」
アニメとかでこういう単語を聞くとついオウム返ししたくなるよね。いつもの調子で複勝した私に構わず、試験官が試験についての説明を続ける。
「この試験では主に【面接】【魔力測定】【実技】の三つの項目に分けて、その総合的な評価で合否を決めさせていただきます」
「面接、魔力測定、実技……! ゴクリ……!」
「……では早速簡単な面接から始めていきましょう。名前、動機、それから特技を具体的に教えてください」
そんなこんなで緊張する私を他所に、おそうめんでも啜るようにさらっと試験がスタートした。
まずは面接の定番である自己紹介から。まぁでもこれは専門学校時代の面接練習でいやというほどやらされたのだ、今更しくじる事なんて――
「しょ、承知いたす……! わ、我は青乃祭莉と申す者……ッ! 歳は二十歳の二十歳! 出身は生まれも宇都宮でぇ……え~っと動機は……」
全然あった!! なんだよその癖強い口調は! 絶対アホな子だと思われてるよぉ……。
いやまだだ! まだ終わっちゃいない! まだ挽回できるはずっ!!
「ダンジョンへ行きたい動機は、ある物を探しに行くためで。特技は……強いて言うなら剣道です……」
特技を言う時に一瞬爆速タイピングとか、好きなシーンの暗唱とかが喉元まで出かけたが、絶対変に深堀されて爆死する未来しか見えなかったので、高二まで頑張っていた剣道とした。
まぁ、特技と言っても差し支えないレベルでは得意なつもりだし……。
「ケンドー……? まぁいいでしょう、ダンジョンへは探し物とのことですが、詳しくお聞きしても?」
「えっと……ダンジョンに賢者が隠したオーブってものがあるらしくて、それを探しに――――ん?」
“オーブ”という単語を口にした途端。目の前の試験官はもちろん、見物席の冒険者までもが言葉を失い、会場が静寂に包まれた。
(え? え? 私なんか変なこと言った?)
唐突に訪れた静寂に冷や汗を流す私だが、それも一瞬にして大きな笑い声によってかき消される。
「アァーハッハッハッハッ!! おいおいこの嬢ちゃんは何言っちゃってんだぁ?」
「オーブってあれだろ? ガキの頃ママに読んでもらった絵本に出てくるやつ」
「そうそうそれそれ……ってお前母ちゃんの事“ママ”って呼んでんの?」
「ばっ! いいだろ別にッ!!」
オーガたちのモブトークが、答え合わせと言わんばかりに聞こえてくる。(ママって呼んでるんだ……)
「あの、青乃さん? オーブがダンジョンにあるというのはおとぎ話で語られるフィクションのはずですが……それが動機という事でよろしいですか?」
どうやらユニから聞いたオーブの話は、この世界ではフィクションということで浸透しているらしい。
確かに昨日出会ったゴブリンのゴブさんも御伽話がどうとか言っていたっけ。
だがこれはピンチだ。このまま「はいそうです!」なんて答えたら、確実に頭お花畑の子認定されて、減点されるに違いない……!
やむを得ない、ここはアドリブを利かせて――。
「な、な~んちゃって! ジョークですよ~ジョーク! 実はその絵本……病気の弟が好きなんです――」
「病気の……弟?」
「はい……弟は昔から身体が弱くって……私が冒険者になって、治療費を少しでも稼げたらなって……」
なんて、こんなベタな話の方がジョークなのだが、さっきまでゲラ笑いしていたオーガたちも静まり、会場全体からすすり泣く音が聞こえてくる。
「くぅぅぅぅ~! 泣かせるじゃねぇか!!」
「俺も久しぶりにママの声が聞きたくなったぜ……ズズズッ」
「だからお前……チィィィィンッ! “ママ”って呼んでんの?」
「そんなこったぁいいだろうがよぉ!!」
誤魔化すためとは言え、やはり嘘をつくのは胸が痛む。
すまない、みんな……。(やっぱりママって呼んでるのかな……)
「なるほど……それは苦労をされているのですね……」
「あ、あぁ、いえいえ~お構いなく~……へへ……」
試験官さんも目頭を押さえてらっしゃるよ、もうこれ以上私に同情するのやめて! 全部嘘ですから!
「では、気を取り直して次は魔力測定です。そちらの水晶に魔力を注いでみてください」
多少のダメージを負ったが、現実では一度も乗り切る事が出来なかった【面接】をなんとかクリアし、続いて【魔力測定】へと移る。
先ほどから私の傍らには水晶が置かれていた。
要はこれに魔力を注入し、その光量を測定するファンタジーではベタな試験だろう。
これもアニメやラノベでよく見かける定番イベント、ここは失敗できない!
そして幸運にも、私はぶっつけ本番で青雷をぶっ放せるくらいには、魔法の素養があるらしいじゃないか。
それならばワンチャン、前人未踏の素晴らしい結果が残せてしまうのでは!?
「いよぉ~しっ! やっちゃうぞぉ~♪」
目を瞑って水晶に右手をかざし、未だ不確かだがぼんやりと感じ取れる“魔力”の感覚を掌に集中させる。
異世界先駆者ニキたちを見ていた感じ、送り込んだ魔力量に応じて水晶が光るはず。
ユニに耳がタコになるほど言われた“集中”を続けていると、全身に張り巡らされた神経を伝ってじんわり温かい“何か”が右手に集まって来るのを感じる。
これは絶対……魔力だ。うん、間違いない。
それにこの量、相当な力なのではないだろうか? これは歴代最高記録が――。
「……あれ、光らない?」
確かに私は、昨日青雷を使った時に感じた感覚を手に集めているはず……なのだが。
「光りませんね。魔力量はゼロと――」
「ま、待ってください! もっとこうしてぇぇぇぇええッ!!」
そ、そうだ。きっと触っていないからダメなんだ。そう思い今度は水晶を両手で鷲掴みにしてぶんぶん振り回してみたりする――が、やっぱり一ルーメンたりとも光らない。
「えぇ……だって昨日皆に――ぁ……」
その時、思い出したのはマーナさんとの会話。
確か彼女は【精霊魔法】だとか【エーテル】だとかを「珍しい」と言っていた気がするが、もしかしてエーテルって言うのは魔力と別物なのでは?
――つまりこの水晶では、私の真価は測れないというわけか!!
「あ、あぁ~なるほど! すみません言い忘れてたんですけど……私、精霊魔法? の使い手なので、魔力ではなくエーテル? を測れる水晶を所望します キリッ」
可能な限り低くて猛者感がある声を出して、水晶を台に戻しながら告げる。
――が、またしても会場に静寂が訪れる。
(こ、このパターンはまたッ!?)
「……アァーハッハッハッハッ!! おいおい、この嬢ちゃんはまたまた何言っちゃってんだぁ?」
「精霊魔法ってあれだろ? 第三世界のエルフたちしか使えないってママから聞いた事があるぜ! あ……」
「そうそうそれそれ……ってお前絶対“ママ”って呼んでるだろ」
「あーそうだよ! 悪いか!!」
オーブの件といい、やはり私がユニから聞いていた話はこの世界では非常識なのだろうか……? いやでもマーナさんは普通に知ってそうな口ぶりだったし……(遂にママ呼び認めたな……)
「う~む……精霊魔法を使えたとしても不思議ではありませんが……ここにはそれを測定する設備が無いのです……」
「と、ということは……この試験は……」
「魔力量ゼロ……ということでになりますね」
「なっ――なんだって~~!?」
こうして青乃祭莉は灰となり、短いようで短かった異世界冒険譚は――
「――ですがご安心を」
「へ?」
「次の最終試験をパスできれば、試験クリアとなりますのでご安心を。それでは――」
ドシィィィィン!!
試験官の言葉を遮る轟音が演習場に鳴り響き、凄まじい衝撃波を巻き起こす。
「――持てる技術を駆使し、このゴーレムを倒してください」
淡々と告げられた言葉が終わると、デッサン人形のような傀儡が無機質な敵意を私に向けてきた。
「あ、あのぉ……これヤバいんじゃ……」
「お得意の精霊魔法でワンパンでも構いません。それに――死ぬことはないので」
冷たく放たれたその言葉を皮切りに、軋むような音を立てる傀儡が、ぎこちない動きで私に迫り来る。
「ひぃぃぃぃッ!!」
一撃、また一撃と徐々に速度のギアを上げて、飛び掛かり攻撃を仕掛けてくる傀儡を反復横跳びのように辛うじて避ける。
かつて某死にゲーで、SL1ノーダメ縛りプレイで鍛えられたフレーム回避テクを、あまり舐めてもらっては困るという物だ。
だがいくら避ける事ができても、ゲームとは違いこれは現実。
スタミナゲージという概念は存在せず、立ち止まっていれば時間経過でスタミナが回復するわけでもない。時間をかければかけるだけ、こちらがジリ貧になってしまう。
そしてユニがいないので武器・防具は無し。そして分断柵も何も無いような演習場。
これはあれだ、地上最強生物の息子さんとコラボしたイベクエのような……うっ、頭が……ッ!
というかそのイベクエですら武器があったのだから、今の状況の方がよっぽど鬼畜。もうクリアさせる気を微塵も感じないくそゲーだぞこれは!
「あっ、あのッ!! ちょっとタイムを――!」
「それは出来かねます、実際の魔物は待ってはくれませんよ」
「ウゾダドンドコドーン!!」
間もなく却下され思わずオンドゥル語が飛び出るが、ふざけている場合ではない。
本当に一瞬でも気を抜けば、すぐに間合いを詰められて殴りかかられる。
やっぱりこれくらいどうにか出来なければ、ダンジョンから生きて帰ってくることは出来ないということなのだろうか……!
だがいつまでも逃げ回っていては、いつか私のスタミナが本当にが尽きてしまう。
それなら一か八か、こっちから仕掛けるしかない!
「――ここッ!」
この傀儡、間合いを詰めてくる速度こそ早いが、いざ攻撃となると単調な上に大ぶりで遅く、寸手のところでステップを入れれば簡単に背後に回れる。
あ、今こいつ嘘言ってると思ったでしょ。いや本当だから! 私インドアでも動けるタイプのオタクだから!!
FPSで鍛えた動体視力と、地味に高い運動神経をもってすればこれくらい余裕なんですぅ!!
背後に回り込み、すかさずバックスタブを狙って殴りかかる……! が。
コキッ……♪
「かっっっったぁぁぁぁぁああ!?」
こいつ……いい木材使ってやがるッ!?
渾身の力を込めた一撃は容易く背中で受け止められ、ダメージを与えるはずが逆にダメージをもらう羽目になり、そして。
ギギギギギッ――
「あ、あっははは……こんにち、うわぁぁぁぁッ!!」
頭部をぐりんっと九十度回転させ、まるで「痛ぇじゃねぇか」なんて言わんばかりに小首をかしげると、両腕を大きく広げて拘束攻撃を仕掛けてくる。
寸手のところで姿勢を低くして、それを回避してまた距離を取って逃げ回るが、これでは埒が明かない。
青雷を……いや、あれはユニと一緒じゃないと使えない。せめて武器でもあれば……。
「あ、あの! せめて武器を……剣ッ! なんか振りやすい剣を所望しますッ!」
「ふむ、やはり素手では厳しそうですか……ではこちらを貸し出しましょう」
そう言って、試験官さんが腰に差した白銀のロングソードを地面に突き立ててくれた。
「おお、素晴らしい! 我が導きのロンソよ!」
わざと立ち止まり、傀儡の攻撃を誘発させてそれを前転で回避。(その際に受け身をミスって思いっきり背中をぶつけた事は割愛する)
回避の勢いを活かし地面を蹴って走り出し、突き立てられたロンソを手に取る。
「ふぅ……よし――」
右足を少し前に出し、脇を締めて柄を強すぎず弱すぎないように握り、意識すらも対峙する傀儡に向けた剣先に乗せる。
これはもう私にとって呼吸に等しく体に染みついた動作の一つだった。
(さて――)
ギギッギギギッ――
再び傀儡が距離を詰めて、私目掛けて右ストレートを放ってくる。
「――ッ!」
左に足を運び、剣身で拳を右へ流してそのまま八相の構えに移行し、背後に回り込んで今度こそバックスタブ……と行きたいところだが突きは反則なので、さっきはビクともしなかった背中に一閃。
が、右ストレートの勢いを活かし腰をくるりと回転させて向き直り、両腕をクロスさせて防御するが、剣を振り下ろす勢いに両腕を弾かれて後ろに仰け反る。
「――――はぁッ!!」
すかさず一歩踏み込んで振り下ろした剣を返し、無防備な胴体に向けて思いきり刃を切り上げると――。
ザバッシュ――!!
と、快音を立てて二撃目が傀儡の胴体にクリーンヒットし、大きな切り傷を付けることに成功した。
これぞ秘技・なんちゃって燕返し。
お寺の階段で番人をしている某アサシンに影響されて、密かに会得したこの技だが、実際に使える日が来るとは……感無量である。
明らかにダメージを受けた傀儡がふらふらと足を運んでいる。
「まだまだこれから――ッ!!」
私の闘志も最高潮に達し、そう叫んだのも束の間。
傀儡は数歩前進した所で、ばたんと倒れてしまった。
「……え?」
ピクピクと痙攣して地に這いつくばる傀儡に対し、内心動揺しつつも体に染みついた残心をして見せる。
(あれ、意外と弱くね……?)
武器が無い時はあんなに強そうに見えたのに、あんなに怖かったのに。剣さえ握ってしまえばこの有様である。
一応すっかり動かなくなった傀儡を切っ先でつんつんしてみるが、へんじがないただのしかばねのようだ。
すると柏手を打ちながら試験官さんが私の元へ近付いてくる。
「これはお見事。借り物の剣で一撃とは驚きです」
「そ、それほどでも~……あ、これありがとうございました」
ロンソを逆手に持って差し出すと、試験官さんは慣れた手つきで刃を鞘へと納めた。
「魔法使いだと思っていましたが、敢えて接近戦で試験をクリアするとは……実力は申し分ないようですね」
「お、という事はぁ~……?」
「はい、試験は合格です。おめでとうございます」
「いやったぁぁぁぁ!!」
待ちに待った【合格】の二文字が告げられ、『手の舞い足の踏む所を知らず』という言葉を体現するように喜びの舞を舞った。
なんだかここまでいろいろうまく行き過ぎでは? なんて脳のまだ冷静な部分が考えているが、今は私の脳内では喜びが勝っている。
そして段々と羞恥心が芽生え始め、喜びの舞の止め時を失っていたのであった。
◇
ダンジョン【通称:フェスタ】 第一層
賢者が古代魔法を秘匿するために創造した迷宮で、全七階層から成る“魔の世界”。
それぞれの階層は出入り口となる七つの世界に繋がっており、第一世界から通じているここ第一層は、他の層と比較すると少し危険度が低い場所と言えるだろう。
まるで洞窟を想起させる空間が無限に広がることから、冒険者たちの間では通称【無限洞窟】と呼ばれ、探索開始から数千年経過する今も尚、未踏エリアや未開封のトレジャーボックスの存在が報告されている。
通路には等間隔に松明が設置され多少の明るさは保証されており、ある程度開拓が進んでいるものの、ここをギルドの立入許可証が必要なほどに危険たらしめている要因はもっと別に存在した。
「はぁぁぁぁッ!!」
激しい金属音が空間に反響し、周辺の空気を否が応でもひりつかせる。
その音の発生源では、漆黒の魔狼・マーナと、赫い光を頭骨の奥に灯し、風化した武具を装備した骸の魔物・スケルトンが、両者一歩も引かない剣戟を繰り広げていた。
前述の通り、ダンジョンへの入場は各世界のギルドが厳格な審査の上、実力有りと認められた者にしか許されておらず、もし生半可な実力の者が足を踏み入れれば、ここに住まう魔物たちによって惨たらしく蹂躙されてしまうのは想像に難くない。
(さすがに腕が落ちている……まさか一層の魔物に足止めを食らうなんてね……)
昨晩、アンの店で出会った大男・ゼムリャーに、何とも言えない違和感を覚え、一日が経っても消えぬその感覚の答えを求め、朝からダンジョンで刀を振るっていた。
しかし半年近く戦闘系の依頼を避け続けたせいか、このレベルの相手だと考え事どころではなく、決定打となり得る一撃をなかなか届かす事ができずに苦戦を強いられていた。
(落ち着きなさいマーナ――神経を切っ先に集中させて……)
スケルトンの激しい攻撃。
その一撃一撃が鈍重で、もしこれがまともに当たれば俊敏さ重視で軽装の彼女が、ただでは済まないのは火を見るより明らかだ。
とはいえ相手は強い魔物の中でも比較的低位のB級であるためか動きが単調で、さすがにこうも刃を交えていると、次の攻撃の軌道も自然と予想が付く。
――刃を合わせる事は会話、言いたいことや考えていることが全てわかる。
これは幼いマーナが、師に言われ続けた言葉だ。
(しばらく刀を持たない間に、師匠の言葉まで忘れてしまうなんて……でも、これでッ!!)
刹那。マーナの姿が骸の眼前から消失する。
突然攻撃対象を見失ったスケルトンが、警戒した様子で辺りを見回すが魔狼の姿はどこにもない。
「ガガッ……ガァッ――!!」
そしてやっと視界の端で淡く鋭い光を捉えた瞬間――頭骨が胴から零れ落ちて赫い光がゆっくりと消える。
その背後に立つマーナは、骸の絶命を一瞥してから刀を鞘へ納めて、技の名を告げる。
「魔狼刀術――【朧月】!!」
目にも止まらぬ速さで死角に回り込み、振るわれた刃を相手が捉える頃には、朧月ほどの淡く鋭い光しか捉えられずに息絶えさせる。
これこそマーナの故郷である第三世界に伝わる魔狼刀術の奥義の一つだ。
純粋に身体能力が秀でる魔狼族だからこそ使用可能な、電光石火で不可視の一撃。
これを回避するには背後にも瞳を得なければならないことだろう。
「ふぅ……なんだかどっと疲れたわ……さてと、魔石は……あ、あったわ」
切り伏せて本当にただの屍と化したスケルトンの懐を漁ると、赫く輝くビー玉くらいのサイズの結晶・魔石を口で器用に咥えて、体の右側に備えたポーチに収納する。
魔石とは、魔物が行使する魔法の魔力源とする重要な結晶体であり、魔物の体内からしか採取できない希少な物質。市場では高値で取引されており、一攫千金を夢見る冒険者たちをダンジョンへと駆り立てる要因にもなっている。
数秒後、スケルトンセンチネルの亡骸が発光し、赫い光の粒子となってダンジョンに溶けるように霧散する。
これが俗にいう【魔循環】。
魔石を失った魔物は跡形もなく消失して、文字通りダンジョンへと溶けていく。
その後時間をかけて一定量の魔力が形を成して魔石となり、新たな魔物をダンジョンへと産み落とすというのが、世間一般で知られている通説だ。
しかし「なぜダンジョンは魔力を吸収し続けているのか?」「魔物とはいったい何者なのか?」など、まだまだ明らかになっていない事も多く、人々はそれらを【迷宮の謎】と呼んで、二千年前にこの迷宮を一人で創造したと伝えられている賢者は、知的好奇心を刺激された学者や冒険者たちの挑戦を今も受け続けている。
「はぁ……地道な修行からやり直さないとだめね……今日は帰りましょうか」
先ほどのスケルトンセンチネルから採取した魔石でノルマは達成したため、報酬の受け取りが可能になった。
帰りの道中でも恐らく数回戦闘があるだろうが、特に問題はないだろう。
帰ったらいつものようにアンの店に行き、いつもと変わらず他愛もない話をする穏やかなひと時を過ごすとしよう。
考えをまとめ、マーナはくるりと回れ右をして、出口へ向けて歩を進めた。
静寂の中に松明の炎が揺れる音が混じる静かな世界。
そして変わり映えのしない殺風景な景色に飽き飽きし、マーナは大きなあくびをするため無意識に大きく口を開けた――その時だった。
「うぉぉぉぉりゃぁぁぁぁッ!!」
気合の入ったクソデカボイスが、洞窟内を反響してマーナの鼓膜を激しく震わせた。
「――ッ!? あ……顎ぉ……」
が、魔狼族であるが故に鮮明に聞こえすぎたらしく、あくびをするため上下に大きく開いた顎が外れた。
「がっ……ぐっ! ふぅ……危なかったわ……ずいぶん粋の良い子がいるのね……」
前足で顎を戻し、若干困惑しつつも声の方角――すなわち出口の方向を見据える。
「い、一応確認だけしに行きましょうか……帰り道だし……」
魔狼族の脚で走りること約十秒のところで、件の現場に辿り着いた。
そこでは青い長髪の旅人が、単独で複数体のスケルトンと交戦中であり、既に何体か討伐したのか足元にはいくつかの骨が散らばっている。
「これは――っていうかあの子なにやってるのよ!」
マーナの心配を他所に、旅人は真剣な面持ちで両手に握られた黄金に輝く“剣”を真正面に構え、骸たちの攻撃を左右に軽くいなしながら攻撃のチャンスを窺っているようだ。
その表情に思わず息を呑み、抜きかけた刀の鍔を静かに鳴らした。
そうこうしている内に、いつの間にか背後に回り込んだ骸の一体が、旅人目掛けて鈍重な一撃を振り下ろす。
「あっ、危な――」
思わず叫ぶが、その声が出た頃には既に、黄金の剣の刃が背後のスケルトンの胴を捉えていた。
「胴――ッ!!」
骨を切ったとは思えない快音を響かせてまず一体。
剣を振った勢いをそのままに、慣れた身のこなしでくるりと回って、近くにいたもう一体に剣を突き出す。
「突き――ッ!!」
風化しているとはいえ、しっかりスケルトンの胸部を保護していたボディーアーマーの奥にある魔石を切っ先が的確に貫き、パリンと音を立てて粉砕する。
最後の一体がわずかに後ずさり、剣の間合いから無意識に外れる。
「へへー、近接だけじゃないんだな〜ユニ!」
〈おうとも!〉
旅人が相棒の名を呼ぶと剣が黄金色に輝き、彼女の身長ほどある長さの黄金の“杖”へと変化した。
「よくわからないけどめっちゃ便利〜♪ それじゃあ行くよ! 青雷――ッ!!」
刹那。杖の先に展開された魔法陣から青白い雷撃が解き放たれ、立ち尽くす骸を襲う。
「アガッ!? ガギゴガァ――カッ……」
数秒後。雷撃が止むとその凄まじい威力に悶え苦しんだスケルトンが、黒い煙を上げてその場に沈む。
「ふぃ〜……なんとか勝てた〜」
と、呑気そうに勝利宣言を掲げた旅人・青乃祭莉を見据え、マーナはその見事なまでの戦いぶりに、ただただ唖然としているのだった。
to be continued.